笠井です。
昨日、家の外でタバコを吸っておりますと、目の前を目の不自由な方が通って行った。
右手で杖をつき、左手に「手助けしてください」と大きく書かれたビニール製の札のようなものを持ちながら、私の目の前を、目が不自由とは思えない速さで通り過ぎて行った。
実は私、この方の手助けを以前にも一度買って出たことがある。
確か昨年の夏、今朝白辺りを歩いておられたこの方を運転中の車から発見し、車の駐車違反を気にしながらも駐禁の道路に停車させて、手を引いて駅まで案内したことがあるのです。
昨日も、やはり「手助けしてください」の札を持っていらっしゃったので、お声掛けしようか一瞬迷ったのですが、タバコを吸っている最中ということもありましたし、あまりにも速くスタスタと通り過ぎて行かれたものですから、そのタイミングを失ってしまったのでした。
杖の先と足の裏の感覚で点字ブロックを確認しながら、後ろ姿はみるみる小さくなっていった。
少し気になって、その後ろ姿を目で追っていたのですが、遠くのほうで、それまで一直線に進んでいた後ろ姿が急に左右にフラフラし出したではないか。
いったい急にどうしたのだろう? 私は彼のほうへ走った。
彼が立ち止まっていたのは信号の手前で、雁木屋根の切れたところ。
そこには雪が積もっていて、点字ブロックが杖で確認できなくなっていたのだ。
点字ブロックの上に雪が僅かでも積もれば、目の不自由な方は困る。
少し考えてみればすぐに分かることでも、普段、私達は気が付くことがなかった。
私が近づくと、彼は信号の手前で完全に方向を見失っていた。
左手に持っていた札をより高く掲げて助けを求める彼の前を、札をチラッと見ながらも平気で行き過ぎる買い物袋を抱えた主婦数名。
買い物時で忙しいのだろうが、せめて信号を渡る手伝いくらいしてあげてもいいのに、、、彼女たちもまた点字ブロックのことなんて考えたこともないのだろうなー。
そんなことを思いながら、今回も彼を頼まれた場所まで手を引いて案内して差し上げることにした。
そう言えば、何も言わずに急に家を飛び出してきてしまったが、大丈夫だろうか?と少々気にはなりはしたが、今さら仕方がない。
手を引きながら、いろんなことを話し掛け訊いてみた。
よく考えてみたら失礼な質問をしていたかもしれないが、今回で2回目ということもあるので、勘弁してもらおう。
「目の不自由な方が町を歩いているのを見かけるが、(手助けしてください)といった札を持っておられる方はあまり見ない。それはなぜか?」
私のこの質問に、彼は、
「他の視覚障がい者達は皆、恥ずかしがり屋なんじゃないの!? 自分が視覚障がい者であることを知られたくないのでは!?」と言う。
分かったような分からないような…だって、杖をつき目をつぶって歩いておられれば、札を持っていようがいまいが、目がご不自由であられることくらい察しがつくと思ったからだ。
恥ずかしがりというより「他人から手助けしてもらわくとも大丈夫」という思いが強いのかな!?などと考えてもみた。
次に、
「あなたは、なぜそれほど早足で歩くのですか?見ているほうが恐いくらいです。ご自分の身の安全のためにもう少しゆっくり歩いたほうが良いのでは!?」と余計な事を忠告してみる。
すると、彼は、
「ははは、それは私の性分なんですよー」と笑い飛ばす。
なるほど、そういう性分だからこそ、そもそも雪道も恐がらず歩いておられたのか!?
しかしながら、あのスピードはちょっとどうだろうか?
仮に点字ブロックが雪などで隠れていなかったとしても、自転車や商店の立て看板が点字ブロック上に置かれていることはよくある。
あまり勢いよく歩いてたら、自転車のハンドルが腹部を直撃したりすることもあるだろうに…。
私は彼を指定された場所まで案内し、そこで彼と別れ、急いで家に帰った。
すると、母親が私の顔を見るなり「どこへ行っていたの?私出掛けようと思っていたのに、誰もいなくなるから出掛けられずに待っていたのよ」と文句を言う。
こういう時、ちゃんと説明すれば良いのだろうが、メンドクサイので無視。
最近は一層、家族に対する口数が減ってしまっている私…少し反省せねばならんなー。
他人にお節介するのは、その後にしなくちゃーね。