笠井です。
少し前の投稿「雪道と点字ブロック」で、私が目の不自由な方の手を引いて案内したという記事を載せましたが、これは「優しさ」から行っている行為ではなく、むしろその反対側の叱咤激励の意味がありました。
障がい者には「助けてもらうこと」を当たり前だと思ってもらいたくない、と私は思っています。
障がい者は、困った時に助けてもらうことを遠慮したり恥ずかしがったりする必要はありません。
どんどん周りに手助けを求めればよいし、障がい者から手助けを求められた側の人達は、手助けをするのが当たり前です。
しかし...障がい者側だけがいつも助けられる側、、、それで良いのでしょうか?
障がい者には、できることが沢山ある。
周りの人達に逆に何かをしてあげることだってできる。
たとえば、身近で簡単なことから言えば、道ばたに落ちているゴミを拾う、公園を掃除する…これらも立派な社会貢献です。
やれば周りから認められて、自分たちの社会的地位を向上させることができるのですから、誰のためでもなく、自分たちのためにやれば良いのではないでしょうか!?
一方的に助けられるだけの存在であろうなどと都合の良い考えを持っているのであれば、それは直ぐにでも捨て、自分が助けられたのと同じ分だけ自分のできることをする、といった当たり前のことを実行するべきです。
それが分からなければ、できなければ、社会の一員として認められっこない…私はそう思います。
「雪道と点字ブロック」の投稿の中で、交差点で方向を見失って助けを求める目の不自由な方の前を平気で行き過ぎる買い物帰りの主婦が数名いたことを書きました。
目の前の困っている人を平気で無視できる、こういった人達の感覚を私は理解したいとも思いませんが、彼女たちにそうした行動を取らせている原因は、障がい者側が社会の一員として認められる努力を怠ってきたことにこそあるのだと、私は思っています。
私が障がい者の皆さんの手助けを積極的に行うのは、そうしたメッセージを彼らに伝えたいと思っているからです。
私は、障がい者の親。
障がい者の親には、障がい者本人を社会の一員として育てる使命があります。
だから、
障がい者が社会の一員となるためのコーディネートは、親の務めだと思っています。
障がいの皆さん、もっと社会貢献しましょう。
障がい者の親の皆さん、「コーディネート」しましょう。