2010年03月01日

未成年者の喫煙…長岡でのピント外れな取り組み

skymaxです。

2月22日、未成年者喫煙防止のため、『長岡地区未成年者喫煙防止対策・青少年健全育成運動協議会』がひらかれました。

この協議会は長岡たばこ販売協同組合とJT新潟支店長岡営業所の主催で、たばこ業界や警察、教育機関、愛煙家団体で構成されており、毎年一回開かれているそうです。
今年も関係者が出席して、未成年者の喫煙防止について話合われたそうです…が、実際からは大きくかけ離れた会議のようです。

今や実際のタバコの販売は半分以上が我々コンビニで行われていますが、我々とはこの会議はほとんど関係はありません。
つまりこの会議は、タバコの販売現場の声を無視した会議だと言えます。

皆さんは未成年者が、飲酒や喫煙をしたら、一番悪いのは誰だと思いますか?

未成年者の本人?
保護者?

違います。

『販売した店』が悪いのです。

…そんなアホな話はないでしょ?

実際に処分された販売店もあります。

罪を犯すのは未成年者で、罪を被るのは販売した店…厳密には違いますが、少なくとも我々はそのような指導を受けています。

だからコンビニでは、お客様に執拗に年齢確認をしているのです。

年齢確認をすると、怒るお客様も少なくぁりません。
我々はなるべく低姿勢で、年齢確認を実施していますが、かなり大変です。

そんな苦労も知らない人たちが集まって何の会議をしているのでしょうか?


私は飲酒喫煙は個人の自由だと思います。
しかし、中学高校生などの未成年者においては、精神的、肉体的な悪影響が大きくなり危険なので、厳しく取り締まる必要があると考えています。

そのためには販売する水際で食い止めることに、おおきな効果があることは、誰もが異論はないでしょう。
ですから、我々販売店はむしろ取り締まる側のはずです。

それが販売店が処罰を受ける側になっているのが現状です。


そんな現場の問題にメスを入れることも出来ないような会議は時間の無駄です。

2010年02月19日

妻のいない明日

skymaxです。

妻が亡くなってから、私たちは中越地震に被災しました。

競合店の出店、大型スーパーの24時間化などの逆風も受けながら、なんとか仕事を進めてきました。

子供たちもすっかり大きくなりました。娘は来年は高校受験。息子はこの春から中学生です。

妻は人生でなすべきことを早々と済ませて駆け抜けました。
私たち家族に暖かな優しさを残して。

私や子供たちを愛して、皆から慕われた妻は本当に幸せ者だったと思います。

さっき、妻の両親と会って、妻の話をしました。
どうしても涙が出るのは仕方ありませんが、必ず最後は皆が笑顔になりました。
妻はそういう女性でした。
人生は長生きする事も大切だけど、短くても日々を大切に生きることが大切なのではないでしょうか?

妻はその命と引き替えに私に道を示してくれました。
つまらないしがらみや、既成概念に縛らる必要はありません。
人は愛があるから人間なんです。
偽りのない愛こそが、最も大切なんだと思います。

人は何のために生きるのか?
愛する人がいるから頑張れる、愛する人のためなら苦にならない。
愛する人が大切だから、他人を思いやることが出来るのだと…妻は私に教えてくれました。

死んだ人間の後を追い掛けたり、形のない宗教に依存しても、未来は何も変わりません。

未来を変えるのは今を生きている私たち自身です。

故人が何かをしてくれるのでも、誰かが何かをしてくれるのでもない…やるのは自分自身、変わるのは自分自身です。

人生は日々時間が過ぎていきます。

私たちは必ず最後には死を迎えます。


ある著名人の辞世の句にこんな言葉がありました。

『散る桜、残る桜も散る桜』


妻への過去の想いは心の底に沈めて、私たち家族は新しい明日に向かってそれぞれの道を歩いていくことでしょう。

彼女自身もそれを一番望んでいるはずです。

妻の命日…今日はそんな新しい始まりの日です。

2010年02月18日

葬儀の夜に

skymaxです。

妻の葬儀の夜に不思議なことがありました。

斎場に泊まった夜のことです。
娘と息子を右と左の腕で抱きしめながら眠っていました。

ところが、夜中に突然目が覚めてしまいました。

私の傍らに眠っているはずの子供たちがいないのです。
時計をみると、午前2時を回ったところでした。

私はとっさに斎場に安置してある妻の遺体の元に走りました。

…いました。
子供たちが母親の遺体の傍らに立っていました。

娘と息子は母親の遺体に向かって何かを話しかけていました。

私は胸が締め付けられるようでした。



次に不思議なことが起きたのは、四十九日の時です。
私たちが新婚直後に居候させてもらっていた、妻の祖母の家で四十九日の法要をさせていただきました。

ところが、法要の最中に誰かが廊下にいるような不思議な感覚におそわれました。
見渡しても、家族や親戚は全員座敷の中にいるのです。
それではさっきから廊下にや階段を行き来している足音は誰だろうか。

私は意を決して、読経の最中に席をたち廊下に出ました。
…誰もいませんでした。

階段を誰かが登って行く音がしました。
私は足音を追いました。
誰もいませんでした。

しかしそこは私と妻が新婚直後に暮らした部屋でした。

私には何も見えないけれど、涙がこぼれました。

2010年02月17日

妻の最後

skymaxです。

2003年2月15日午前3時半過ぎ、遅い帰宅をした私の携帯にメールが着信しました。
妻からの着信でした。

『苦しい』
メールのタイトルでした。
一度も弱音を吐いたことのなかった妻からの、初めての苦痛を訴えるメールでした。
直ぐに折り返し励ましのメールを送りました。
『今から行くから待ってて』
妻からの返信はありませんが、私は直ちに病院に向かう準備を開始しました。

私には迷いがありませんでした。

妻が入院している病院は埼玉県にありました。
私たちが住んでいる新潟県長岡市からは約三時間かかります。

私は眠っていた子供たちを連れて、経営している店に戻りました。
仮眠もとらずにそのまま、売上日報の作成、発注などのコンビニオーナーの最低限の業務を終わらせ、従業員と本部に指示事項を伝えました。

そして始発の新幹線を待って、病院に向かったのです。

妻には頻繁にメールをしました。
『今から駅に向かうよ』
『今、新幹線に乗ったよ』
『もうすぐ着くから』…

しかし、結局妻からは何の返信もありませんでした。
あの『苦しい』が妻からの最後のメールになりました。




駅からタクシーで病院に着いた私たちが案内されたのは集中治療室でした。

酸素マスクを装着され、目をかっと見開いて身体全体で呼吸する妻がそこにいました。

もう話をする事もこちらを振り返ることも出来ませんでした。

子供たちと私が手を握ったのは、かろうじてわかったようです。
必死に呼吸する妻の形相が一瞬和らぎました。

私たちも気が付くと、妻の呼吸に合わせて身体全体で呼吸していました。
苦しくて喉が痛くなってきました。
妻はもうこの状態を何時間も続けていたのです。

「お母さん頑張って」
子供たちの必死の叫びもむなしく、妻は間もなく息を引き取りました。

臨床を告げる医師の低い声、私の頭のなかは真っ白になってしまいました。

「先生っ!、お母さんを生き返させてっ」
子供たちが医師にしがみ付いて、泣き叫んでいました。
「先生、お願いします、お願いします、先生、お願いします」小学1年の娘が、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら医師にしがみ付いて離れません。
保育園児の息子も一緒になって医師にしがみ付いていました。
狂ったように叫ぶ子供たちを抱きしめながら、私は廊下に出ました。

「お母さ〜ん、お母さ〜ん」と大声で泣き叫ぶ娘と息子。
私は2人を抱きしめながら、一緒に泣きました。


死後の処理が終わり、私たちは再び病室に戻りました。妻の身体は綺麗に化粧され、まるで眠っているようでした。
頬にはまだ温もりが残り、生きているようでした。

妻の枕元のノートには2人の子供たちの名前と私の名前、そして自分自身の名前が書かれていました。

2010年02月16日

妻が倒れた

skymaxです。

2001年8月2日、自動車を運転中の妻が突然、吐血して病院に入院しました。

後部座席には保育園に通う幼い子供2人を乗せていました。
もし妻が運転を誤れば大変なことになるところでした。


病院に駆けつけた私に、医師から告げられた病名は…末期の胃癌(レベル4)でした。


私には信じられませんでした。
身体がだるい、胃がおかしいということで、近所の町医者から処方された胃薬を飲んでいた妻でした。
体調がすぐれないのは疲れているせいだと、近所の整体に通っていた妻でした。
『胃癌になりにくい乳酸菌飲料』だというセールストークでヤクルトの販売員の仕事をしている妻でした。
それなのになんで?

身体にいいことばかりしていたはずなのに、どうして末期の胃癌なのかわけがわかりませんでした。


妻が倒れる1ヶ月前、私は長年勤務した会社に辞表を提出しました。
妻の実家の勧めもあり、脱サラしてコンビニを開業する事にしたからです。

新しい生活の夢を毎日のように妻と語り合っている矢先、妻が倒れてしましたのです。
当時の妻はまだ29歳、若くて健康的な可愛らしい女性でした。

営業の仕事で出張や残念、休日出勤の多い私を、いつも笑顔で支えてくれたのは妻でした。
度重なる転勤にも不平不満は言わす、一緒についてきてくれた妻でした。

誰も身内のいない転勤先で、喘息で入院がちだった子供たちを一緒に守ってくれたのは妻でした。

自分自身のことよりも、いつも子どもと私の体調ばかり気遣ってくれる優しい妻でした。


どうしてあんなに優しい妻が命を癌によって奪われなければならないのか?
先に死ぬべきなのはむしろ、苦労ばかりかけてきた私の方なのに。長く生きてきた私が代わりに癌になったら良かったのに。

いくら悔やみ嘆いても、事態は何ら良くなりません。
レベル4の胃癌での生存率はほぼゼロ、若くして発症した人ほど進行は早いのだそうです。

医師らも治療ではなく、余命をどうやって過ごすかを私に伝えたかったようですが、そんなに早く冷静に頭を切り替えることなど出来ませんでした。

子供たちはそんな私を励ましてくれました。

「お父さんありがとう」
「お父さん頑張ってね」
「お父さん大好き」

無邪気に笑っている保育園児の2人の子供を守り育てることこそが、妻の最大の望みであるはずだと確信しました。


病院のベッドから妻が言いました。

「私がこんなになってごめんね…無理しないでね…ありがとう…大好き…子どもたちは大丈夫かな?…」


癌で余命僅かの妻からの言葉に私は胸がいっぱいになりました。

私は妻や子供たちの前では涙を見せることが出来ず、病院のトイレに駆け込んで泣いていました。

2010年02月15日

妻の命日

skymaxです。

毎年妻の命日を迎える時、私は未だに涙の枯れることはありません。

どうして私でなくて、まだ若い妻が先に逝ってしまうのか、…私は柱に頭を打ち付けてながら号泣しました。
自分を無くしてしまいたくて、浴びるようにウィスキーを飲みました。

涙があとからあとから溢れ、いくら飲んでも酔うことはありませんでした。


私を悲しみの淵から救ってくれたのは、妻が残してくれた子供たちの笑顔でした。
今、私が立ち直ったのも子供たちのおかげです。


以前の投稿と重複する部分もありますが、以下投稿します。

正直なところ、私と同年代のお父さんたちに読んでいただきたいのです。

ご自分の奥様を大切にしてください。
男が頑張って働けるのは、支えてくれる女性がいるからだと思うからです。

2010年01月11日

『北越雪譜』と『ムーミン谷の冬』との類似点





skymaxです。

ムーミンシリーズで最高の名作とも言われる、『ムーミン谷の冬』

実は『北越雪譜』と奇妙な共通点があります。

毎年小正月に行われる『斎の神』の行事です。

『斎の神』は日本全国で行われている行事です。

ところが、『ムーミン谷』でもよく似た行事があるのです。
真冬の寒さが最も厳しい頃に、大きな焚き火を燃やすお祭り?です。

北国の人々の春を待っ想いは日本もヨーロッパも同じなのでしょう。

その気持ちは時間を越えて私たちにも受け継がれているのだと思います。

2010年01月10日

『北越雪譜』の世界・雪の結晶



skymaxです。

きちんと調べたわけではありませんが、新潟県の学校には雪の結晶をデザインした校章が多いようでした。
私自身の母校も、小中学校ともに『雪の結晶』でした。

実は江戸時代後期に『雪の結晶』のちょっとしたブームがあったようです。
雪の結晶の図絵が出回り、着物の柄、家紋等にも引用されたそうです。

北越雪譜でも雪の結晶を図絵で紹介しています。
鈴木牧之自身は虫眼鏡で雪の結晶を観察したようですが、図絵そのものは他者の著作から引用しています。

雪の結晶は実は六角形を基調としているが、天候により微妙に変化し、同じものはないことを指摘しています。

私たちが虫眼鏡で見る雪も鈴木牧之自身が見た雪も、よく似た形の雪の結晶があったかもしれませんね。

2010年01月07日

『北越雪譜』の世界…雪吹

skymaxです。

鈴木牧之は関東等の暖かい国の人々の雪に対する表面的な理解や誤解、思い込みに対して、著書『北越雪譜』の中で繰り返し雪国の生活の厳しさを訴えています。
その中の一節をご紹介します。
原文を多少アレンジして、読みやすくしました。
誤訳がありましたらお許しくださいね。



○ 雪吹(ふぶき)

塩沢付近の農村のある農家に働き者と評判の孝行息子がいた。
息子が22歳の冬、二里ほど離れた村から、19歳の可愛らしい娘を嫁に迎えた。
娘は生まれつき働き者で、機織りの腕前も良かったので、舅・姑らもたいそう可愛がった。
夫婦の仲も良く、その年の9月には安産の末、珠のような男の子が生まれた。

産後の肥立ちも良く、赤ん坊はすくすくと成長していく。

この一家は皆たいそう働き者で、小さな農家ではあったが貧しくはなかった。

働き者の善人の一家。
よき倅がよき嫁を迎え、よき孫をもうけたと、村中の評判だった。

連日降り続いた雪が止んで、穏やかに晴れたある日、嫁は夫に対して、こんな話を持ちかけた。
「里帰りして、実家の両親に孫を見せたいが、どうだろうか」
傍らで聞いていた舅も姑もその話にたいそう喜んで、嫁に里帰りを勧めた。
倅(夫)にも同行させることにし、土産等も用意した。
準備を手伝う舅、姑の嫁や孫に対してかける心遣いは、温かい愛情に溢れていた。
「よく乳を飲ませてやりなさいよ、道中はなかなか落ち着いて与えられないから」
「今日、夫婦そろって孫を連れて帰ることは、(嫁の)父翁、母人は知らないわけだから、驚かれるだろう」
「父翁はいつぞや、孫を見に来たことがあるけれど、母人は初めて見るわけだから、さぞかし喜ばれるだろう」
「泊まってきてもいいでしょうか?」
「もちろんだとも…」

舅、姑の温かい心遣いに息子夫婦は喜び勇んで、旅立った。

ところがこれが親子の一世一代の別れになってしまった。


若夫婦が村外れの美佐島という原に差し掛かった頃、天空はにわかに黒雲に覆われ、大荒れの雪吹となってしまったのである。
雪吹は深夜まで続いた。


翌日は、晴天になった。
村人数人が、美佐島の原付近を通りかかった時に赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
あたり一面の雪原に人影はない。
泣き声は雪の中から聞こえてきた。

掘ってみると、女の黒髪が雪の中から現れた。

それは若い夫婦の亡骸だった。

二人は手を取り合って、頭を並べ、まるで眠っているようだった。
若夫婦は我が子を守るように寄り添い、赤ん坊は雪に触れることもなく、凍死を免れたのである。
自らの命を犠牲にして我が子を守った若夫婦の姿に、その場にいた者で涙しない者はいなかった。
赤ん坊は村人が懐に入れ、若夫婦の遺体は蓑に包んで、夫の家に運ばれた。

嫁の実家に泊まっているものとばかり思っていた両親は変わり果てた若夫婦の姿に愕然とした。

(原文から)
『…死骸を見て一言の詞もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声をあげて哭けるは見るも憐のありさま也。
一人の男 懐より児をいだして姑にわたしければ、悲と喜と両方の涙をおとしけるとぞ』


江戸や上方の文人たちで越後を訪れる人は少なくなかったようですが、誰もが雪の季節の前には、逃げるように越後を後にしたそうです。
一方では雪は美しいものとされ、俳句や風流の世界で、もてはやされたのだそうです。
著者の鈴木牧之は、雪国の人々の生活の厳しさを初めて、世に知らしめたのです。
『北越雪譜』は江戸の貸本屋で大変な人気となりました。

2010年01月06日

雪道で事故ってしまいました

skymaxです。
…洒落になりません。

先ほど、雪道で事故ってしまいました。

新潟県津南町・国道117号線、雪道のカーブになった下り坂でした。
私が運転する自動車はスピンしながら、道路脇の雪の壁にぶつかってしまいました。

幸い対向車もなく、後続車も離れていた為、二次的な事故は防げました。

運転していた私自身も同乗していた子供たちも無傷。
これが不幸中の幸いでした。

連絡して来てくれた警察官は、雪の降る中でも親切に対応してくれましたし、通りかかった地元の人からも暖かい言葉をかけて頂きました。

凹んでしまった自動車は修理出来ますが、人間はそうはいきません。

皆さんも雪道の運転には気を付けて下さいね。

2009年12月07日

地球の速さ

skymaxです。

この時期になると必ず交わされる挨拶。
「もう12月ですね」
「一年って、あっというまですよね」

普段意識していない地球の公転速度、どの位だと思います?

おおまかな計算は小・中学生レベルの算数で可能です。

地球を太陽の周りを円軌道で公転していると仮定、地球から太陽までの距離をrとします。
地球が一年かけて太陽を公転する距離は、2πr^2…つまり円周ですよね。
(携帯からの入力なので、二乗が上手く表示出来ません)

距離を時間で割れば、速さが求められます。

一年は365.25日ですが、これを秒に直して速度を求めます。

地球の軌道半径は1.496×10^8kmとします。

地球の公転速度v(km/s)を計算すると、

v=(2×3.14×1.496×10^8)/(365.25×24×60×60)
=29.770…

なんと秒速30kmとなります。

…やはり一年は『あっというま』でした。

2009年12月04日

『癌治療の緩和ケア』の前に考えること

skymaxです。

先日の『サイエンスゼロ』(NHK教育)のテーマは『緩和ケア』でした。

私はまだ三十路にさしかかったばかりの若い妻を癌で失いました。
その前後は随分悩み苦しみました。


『生きるとは何か?』

この問題を明確にすることなしに病気の治療あり得ません。
癌を発病して一番辛いのはもちろん本人です。
しかし実は家族もそれ以上に辛いのです。

病気は治療するのが当たり前と考えがちですが、果たして本当にそうでしょうか?

治療にはお金と時間がかかります。
そればかりか、数字にはならない手間や物理的、精神的な心労もかかります。
それは癌患者本人ではなく、家族の最も責任ある立場の者が背負う問題です。

周囲の親戚・知人の無責任な善意が、逆に負担なることもあるのです。


私はその時に実家の過去帳を思い出しました。

以前、実家の歴史を調べようと、仏壇の過去帳を読み解いたことがあったのです。

過去帳にはその家から葬式を出した記録が記されていました。
私の実家は約200年前に分家した古い農家だったようです。
ところが、明治時代に没落して全ての農地を失いました。
そのことは、祖母や父に聞かされて知っていました。
ところが、過去帳にはその頃にもっと大変なことがあったことが記載されていました。

明治初めのある年、一年足らずの期間に六人もの家族が亡くなっていました。
五人が子供で、一人が老人です。
約二ヶ月おきに亡くなっていました。
流行り病か何かでしょうか?

過去帳には理由は記載されていません。

ほとんどの財産を失った時期、私の実家ではそれ以上の深い悲しみに包まれていたことは間違いありません。

このことは祖母や父からも聞かされてはいませんでしたので、私は大変に驚きました。

しかし、今現実に私はここに生きています。

私の先祖は深い悲しみのどん底から立ち上がり、次の世代の私たちへと命を渡してくれたのです。

今、私が何を最優先すべきか。

140年前に私の先祖も同じ問題で悩み、苦しんで結論を出したはずです。

私は先祖と同じ選択をしました。
相談は出来ませんでしたが、妻もきっと同じことを考えると確信して。


私の選択は…後に残された子どもたちを最優先に考えることです。

人は何のために生きるのか?
私は『愛するもののため』だと思います。
『愛』こそが、人間が人間である最も大切な証です。

それがわかれば、癌治療をどうするのか、緩和ケアをどう考えるのか…実際の問題の解決に迷うことはありません。

2009年11月24日

マルコフ・チェーンで人間関係づくり?

skymaxです。

先日、自分の娘、息子と話をしていて驚いたことがあります。
同じクラスにもかかわらず、全く挨拶も話もしない人が、かなりいるようなのです。
もうクラス替えから半年以上経ちました。
仲の良い人のグループ内だけで親しくするのは、ある程度やむを得ないことだと思います。しかし、それも程度問題です。
クラス替えなどで親しい友人と別れ、新しいクラスに馴染めないことが、不登校の一因ではないでしょうか?

昔話になりますが、私の通ってきた小中学校では、当時は不登校はありませんでした。
今はかなりの不登校の子供がいます。
時代が違うのでしょうか?
子供の通う学校のPTAの集まりでも、不登校の児童・生徒の問題が話し合われたことを見たことがありません(私が話を切り出したことはありますが)。

他人のことにはあまり干渉しない…確かにそれは正しいと思いますが、クラスメイトはそれほど他人ではないと思います。

具体的にはどうするか?
…実は私にもよくわかりません。
ただ、私はまず挨拶から人間関係が始まると思っています。
まずは挨拶をすることから始めたらどうかと、子供たちに提案しました。

そこで挨拶をしないと、どうなるか…子供に数学的に説明してみました。

高校の数学で習うベクトル・行列がこの手の予測には向いています。
その行列の応用でマルコフ・チェーンで小中学生にもわかるように考えてみました。

マルコフ・チェーンの基本的な考え方は、同じようなことを繰り返すプロセスで、各現象の起こる確率は、その直前の状態のみによって決まるというものです。
実際の世の中ではマーケット・シェアの予測などに使われています。

今回はこれを学校のクラス替えにあてはめて、『友達づくり』について考えてみたいと思います。

ところが、私は携帯からこのブログを投稿しています。
そのため、行列式の入力・表示がままなりません。

小中学生にもわかるという意味からも、行列式は使わないで書きますので、多少ごちゃごちゃする点をお許しください。

まず、計算を簡略化するために、前提を極端にシンプルにしました。

娘のクラスを例にお話します。

クラスメイトを二種類に分けます。

�一方のグループを娘の友達の集団(A)。
もう一方は娘に無関心で、友達ではない集団(B)です。

�友情行為は『挨拶を交わす』ことのみとし、お互いに『挨拶を交わす』関係を『友人』とします。

�挨拶は娘の友人かどうかに関わらず、ある程度の割合で交わされているものとします。

�Aは娘からの挨拶に対し、9割の生徒が返事をするが、1割の生徒は無視するとします。

�Bは娘からの挨拶に対し、1割の生徒が返事をするが、9割の生徒は無視するとします。

�娘に挨拶を返した生徒はA集団に帰属(友人)とし、挨拶を返さない生徒はB集団(友人ではない)とみなします。


このような前提で、どの位の生徒が娘からの挨拶に応えて友人になり(A)、どの位の生徒が友人ではなくなる(B)か計算してみます。
この状態を行列式に書き、推移行列を求めてみます。
推移行列によってのみ、友人のシェアは決まるからです。
ここで行列式を展開しなければいけませんが、いきなり省略して推移行列を解いてみます。

均衡シェアをX∞とすると、下記の式で表されます。
X∞=0.9X∞-0.1X∞(1-X∞)
これを解くと、

X∞=0.5となってしまうのです。

つまりクラスの中で挨拶を交わす友人集団Aは5割どまりということです。

もちろん、これは極端な結果で実際にはもっと複雑な要因がからみあいます。

数値計算のモデルはある条件な仮定のもとで未来を予測するだけです。

しかし、単純な挨拶でも、ただ繰り返すだけでこのような結果になってしまうことがわかります。

ではどうやってこの予測を覆すか?

それは『友人をつくる努力をしなければならない』…という当たり前の結論に行き着きます。

もちろん、挨拶だけが友情行為ではありません。

ただこの計算は何もしなければ、均衡シェアにおちついたクラスが生まれることを教えてくれています。

方法は色々あります。
大切なことは、何もしなければ均衡シェアに落ち着く可能性があり、そのシェアからはみ出してしまった生徒が出る可能性があるということです。

2009年10月27日

天体観望会中止のお知らせ

skymaxです。
 
本日予定していました『天体観望会』は天候回復の見込みが無いので、中止致します。
延期の予定はありません。

2009年10月11日

『星を見る会』やります


skymaxです。

昨年もこの時期に開催した『星を見る会』
今年も開催したいと思います。


《日時》
10月27日(火)
18:00〜20:00

《場所》
信濃川河川敷グラウンド
(昨年と同じ・地図★印参照)

当日は月と木星が楽しめます。
夕方は急に冷え込みます。
暖かな服装でお越し下さい。

2009年10月04日

中秋の名月


skymaxです。
なんとか雲間から見えてます(笑)。

300mm望遠レンズで撮影しました。
下手な写真でごめんなさい。

2009年09月21日

娘の喘息発作

skymaxです。

昨夜、久しぶりに中学生の娘に喘息の発作が起きました。

娘はゼイゼイと肩で息をしながら、心細いに表情で私もを見つめていました。

十年前、初めて発作が起きた時は本当に驚きました。
入退院を繰り返す娘が可哀想で、私と妻は落ち込んだ時期もありました。
でも逆にこの喘息がきっかけになって、妻と深い愛情と信頼関係が築けたようにも思います。

何度も発作を体験するうちに私もすっかり慣れてしまいました。
今は医者、病院にも行かす、自力で回復するようになりました。

一晩中、娘の背中をさすりながら、色々な話をしました。
話をしながら、お互いにいつの間にか眠ってしまいました。
一夜明けて、喘息の症状は落ち着きました。

医者よりも薬よりも、親子の愛情が一番ですね。
自分でも不思議ですが、娘の背中をさすっていると、みるみるうちに呼吸が正常に戻るのです。
父親にもこんな力があるんですね。

天国の妻が力を貸してくれたのかもしれません。

2009年09月16日

さんかく座 M33


skymaxです。

秋の夜空で そっと探してみたいのが、さんかく座のM33と呼ばれる銀河(星雲)です。
アンドロメダ星雲(M31)のすぐ近くに、肉眼でも淡く見えています。

そうは言っても、アンドロメダ星雲に比べると遥かに淡いので、初めての方にはなかなか見えないようです。

これは私たちの眼の構造にも原因があります。
十分に暗闇で眼を慣らし、目標の天体を凝視しないように見て下さい。
淡い天体が驚くほど見えるようになるでしょう。

この写真はアンドロメダ星雲同様にEOS20DaにニッコールF180mmF2.8で30秒露出で撮影しました。
コントラストをかなり上げています。
実際の肉眼ではこのように見えません。

2009年09月14日

アンドロメダ星雲


秋の澄んだ夜空が広がる季節になりました。
月のない夜に、北東の夜空を見ると、小さな雲のようなものが見えるかもしれません。
肉眼でもかすかに光のシミのように見える天体。
これが有名なアンドロメダ星雲です。

双眼鏡でもこのような姿を見ることが出来ます。

今夜あたり皆さんもいかがですか?

この写真は八方台で撮影したものです。
長岡は身近に美しい星空が残っています。

2009年08月31日

『胎内星まつり』の後始末


skymaxです。

昨日、『胎内星まつり』から帰ってきたら、ドアの隙間に手紙が入っていました。
息子の担任の先生からでした。

昨年までとは日程が変わり、今年の『胎内星まつり』は8月末になりました。

このために2学期制を導入している小学校・中学校は早々と夏休みが終わり、『胎内星まつり』が夏休みのイベントではなくなってしまったのです。
運営面でのご苦労は大変なものだと思いますが、来年の日程については、もう一度検討して頂きたいと思っています。


…話を戻します。
そういうわけで、息子と娘一緒に『胎内星まつり』に参加するために、わざわざ学校を休ませました(笑)。
だって年に一度の家族旅行ですから。

娘は「家庭の用があるので休みます」と正直に学校に伝えてあるので、問題はなかったのですが、息子は仮病を使ったのです。

インフルエンザが流行っている今のご時世、先生は慌てお見舞いに来て下さったのでした。

…なのに、留守…(・・;)

私は昨夜、担任の先生に事情を説明してお詫びする為に電話を入れました。

「そんなに熱があるのにキャンプに行かれたんですか?」
息子の迫真の演技はかなりインパクトがあったそうです(笑)。

「先生、本当にごめんなさい」
いけないのは私です。
(´ω`)