柳田国男と言えば、遠野物語で知られる民俗学の大家。
ところが、柳田国男は始めから民俗学を研究していたわけではありません。
若き日の柳田国男は農業を専門とするエリート官僚でした。
全国各地を回り、農民運動に関わる論文を発表しています。
その柳田国男が、新潟で視察した小学校が 私の母校…濁川小学校でした。
この事は地元でも知る人は少ないようです。
柳田はこの時に知り合った、濁川村の地主…真島桂次郎の案内で隣村である木崎村を視察します。
この木崎村こそが、のちに日本三大小作争議のひとつに掲げられる『木崎村小作争議』の舞台となります。
小作側と地主側は激しく対立しますが、最後まで抵抗した地主が、濁川村の真島桂次郎でした。
争議は久平橋での、警官隊と小作側の衝突(『久平橋事件』)で幕を閉じました。
この衝突で小作側のリーダー格がほとんど逮捕され、小作側の抵抗は事実上出来なくなってしまいました。
この時に小作側のリーダーたちに宿を提供していたのが、久平橋のたもとで商売を営んでいた私の曾祖父でした。
商売をやっていながら、地元の地主に反旗を翻したのです。
地主の真島は、当初は農友の柳田の影響からか、小作組合の結成に尽力しますが、最終的には小作を弾圧する側に回ります。
どのような心境の変化があったのか、興味はつきません。