[ カテゴリー:福祉 ]

障害者の高齢化に対応 総合支援法を改正へ

厚生労働省は14日、社会保障審議会障害者部会(座長=駒村康平・慶應義塾大教授)に報告書案を示し、大筋で了承された。障害者の高齢化・重度化に対応することが柱。介護保険優先原則は維持した上で、新たなサービスを設ける。利用者負担の拡大は引き続き検討することとした。これを踏まえ、次期通常国会に障害者総合支援法改正法案を提出するほか、18年度の障害報酬改定に反映する。

報告書は近い将来に向けた課題を整理した観が強く、すぐにメスを入れるという印象は薄い。委員の意見が対立する場面もほとんど見られなかった。

障害者の高齢化・重度化に対応することが最大の論点で、65歳以上になると介護保険サービスの利用を優先する原則は維持する。介護保険利用に伴う利用者負担増に困惑する立場からは異論が多い。

厚労省は機械的に「優先」することのないよう自治体に通知しているが、委員からはさらなる運用改善を求める声が上がった。

新サービスとしては、一人暮らしの知的障害者、精神障害者を定期的に巡回したり随時対応したりするものを設ける。軽度者がグループホーム(GH)から一人暮らしに移れるよう、日常的な健康管理などを支える。

GHに空きをつくり重度者の受け皿としていく絵を厚労省は描くが、委員からは、軽度者が意に反して追い出されることを懸念する声が上がった。就労後の定着支援についても新サービスを設けることとしたが、具体的な内容が不明瞭だとする意見が上がった。

重度者支援を厚くする観点では、入院中の移動支援、重度訪問介護の利用を進める。意思能力の低下した人が増えることも想定し、障害福祉サービスに意思決定支援の要素を含むことを明確にする。

また、障害福祉サービス利用者が65歳になっても同じ事業所の提供する介護保険サービスを利用できるよう、介護保険事業所の指定を受けやすくする。

親亡き後を見据えて支援体制を整える主任相談支援専門員(仮称)も創設する。

サービス利用に伴う利用者負担の拡大は、条件付きで容認する委員が多かったが、利用者の生活実態の把握に一定の時間がかかることなどから、報告書は「引き続き検討する」とした。

現在、総合支援法に基づくサービスの利用者のうち9割は無料で利用。財務省はサービスの総費用がこの10年で2倍に増えたことを重くみて、持続可能な制度にするよう求めていた。

報告書案を読む限り、負担する人がすぐに広がるとは考えにくいが、負担増は政治案件のため、法案作成や報酬改定議論の過程で急浮上する可能性は否定できない。

13年4月施行の総合支援法は施行3年後に見直すことを付則に規定。厚労省は今年4月から同部会で議論を重ねてきた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151221-00010000-fukushi-soci


<マイナンバー>通知カードの番号…視覚障害者読めない困惑

住民一人一人に12桁の番号を割り当てるマイナンバー制度で、簡易書留で届く「通知カード」に記された番号について、視覚障害者から「読み取れない」と困惑の声が上がっている。封筒には通知カードだと知らせる点字表記があるが、カードにはない。当事者らが改善を訴え、独自の支援策に乗り出す自治体も出てきた。

「1人で番号を読める視覚障害者は、まずいないわ」。堺市堺区でしんきゅう院を営む土屋昭男さん(51)は憤る。土屋さんは重度の視覚障害者で堺市視覚障害者福祉協会の青年部長を務める。通知カードが届いた仲間からは「どうやって読めばええねん」といった相談や苦情が相次ぐ。

通知カード書類の左下には視覚障害者用の音声コード(約2センチ四方)が印字されているが、スマートフォンの読み上げアプリなどが必要。スマホを使えても、音声コードの位置が分からず、1人で読み取るのは困難だ。プライバシーを守るため、ヘルパーに読み上げてもらうのも不安が残る。

通知カードが送られるのは約5400万世帯で、視覚障害者は約32万人と推計される。総務省の担当者は「全てに点字を施すには多額の費用がかかる。音声コードは『ねんきん定期便』などでも採用されている」と説明。点字シールを配るなど、視覚障害者への配慮に努めるよう全国に通知したが、対応は自治体任せなのが現状だ。

神戸市は、区役所などの相談窓口に点字印刷機計12台を用意し、職員が番号を読み上げて点字シールを提供することを決め、年明けには態勢が整うという。堺市は専門スタッフがいる視覚・聴覚障害者センターと連携して支援策を探る。大阪市と京都市は支援策を「検討中」と話す。

視覚障害者らの団体でつくる「日本盲人会連合」(東京都)は近く、行政窓口での番号読み上げや点字化などの改善策を求め、国に申し入れる。組織部長の藤井貢さん(63)は「障害者への合理的配慮を義務付ける障害者差別解消法が来年4月に施行される直前に、こうした事態が起きるのは残念。視覚障害者が置き去りにならない制度を確立してほしい」と注文する。【木村健二】

◇視覚障害者の支援策に詳しい中野泰志・慶応大教授(心理学)の話

視覚障害者に対して安心・安全に情報を提供するためには、点字や拡大文字、音声など個々のニーズに応じたメディアを確認するのが基本だが、マイナンバー制度では、その作業がなされていない。まずは個人番号の認識を手助けする市区町村の窓口を早急に設置する必要がある。番号の管理や使い方についても講習会の開催を徹底するなど、丁寧な啓発が求められる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00000040-mai-soci


高校における特別支援教育の充実方策を検討 その内容とは?

文部科学省は、高校における特別支援教育の充実方策を検討するため有識者らによる協力者会議を発足させた。一般の小中学校で実施されている「通級指導」を高校にも導入することが主な検討課題だ。この点について、ベネッセ教育情報サイトでは、教育ジャーナリストの斎藤剛史氏に伺った。

特別支援教育のための校内組織の設置や支援コーディネーターの任命は、小中学校のほとんどが実施しているのに対して、高校は約8割程度となっています。高校では、特別支援教育の体制は形式的には整いつつあるものの、実際には特別支援教育が機能していないところが多いというわけです。一方、文科省の推計によると、発達障害のある生徒は高校生全体のうち2.9%(全日制1.8%、定時制14.1%、通信制15.7%)いるとされています。

高校で特別支援教育が広がらない理由の一つは、義務教育と異なり全員が入試を受けて入学しているという高校教育の性格、それに伴う教員の意識の問題などが指摘されます。さらに問題として、小中学校の通級指導のような「特別の教育課程」を編成する制度が高校にはないことが挙げられます。しかし、障害の有無にかかわらず教育をするというインクルーシブ教育の広がりや、障害者差別解消法が2016(平成28)年度から施行され、公立学校には障害者への合理的配慮の提供が義務付けられることなどから、高校でも特別支援教育への対応が急務です。

このため文科省は協力者会議を設置して、障害のある子どもが一般学級に在籍しながら、必要に応じて別教室などで特別な支援を受ける「通級指導」を高校でも導入するため、「特別の教育課程」の編成を制度化する検討を始めることにしました。既に文科省は、高校における通級指導のモデル校を2014(同26)年度から指定しており、その取り組み内容などを参考にしながら具体的な方法を論議する予定です。
ただ高校の場合、一時的にクラスから離れて特別な支援を受けることに対して、年齢的に抵抗感が強いこと、他の保護者の理解を得ることが難しいことなど、高校独特の課題もあり、「小中学校と同じ取り組みはできない」と指摘する高校関係者もいます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00010002-benesseks-life


日体大が障害者陸上部 東京パラリンピックに照準

網走の付属校でも選手育成へ

2020年東京パラリンピックに向け、日本体育大学(東京)が、陸上の「障がい者アスリート部」を発足させた。同大は東京五輪とパラリンピックの全体で、計70人の学生やOBを日本代表として送り出す目標を掲げており、17年4月に網走市で開校予定の日体大付属高等支援学校(仮称)にもコーチを派遣するなどし、選手育成に着手する。

障がい者アスリート部は1日に発足。陸上競技部の中で、短距離や投てきなど種目ごとに分かれるブロック(部門)の一つ。大学の強化指定を受ける。

障害者限定のスポーツ推薦枠も

函館市出身で、ハンドボール部から障害者陸上に転向した短距離の辻沙絵選手(3年)1人からのスタートだが、同選手は10月の世界選手権女子100メートル(T47=片前腕切断など)で6位に入り、来年のリオデジャネイロ・パラリンピック出場が有力視されている。同種目で日本記録を持つ三須(みす)穂乃香選手(新潟村上高3年)も来春入学する。辻選手は「部ができて、パラリンピックでメダルを取りたい気持ちがより高まった」と話す。

日体大は障害者に門戸を広げるため、体育学部の一般入試で必須だった「実技」を課さないコースを来春から導入。障がい者アスリート部はその流れに沿うもので、障害者に限定したスポーツ推薦枠も新たに設けた。三須選手はその第1号だ。同部の水野洋子監督は「一般入学してくる意欲のある学生も受け入れ、部を盛り上げたい」と語る。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151214-00010000-doshin-hok


そもそも「障害者差別」って何なんだ? - 「障害者週間」によせて

12月3日より9日までの7日間は、内閣府が定めた2016年の「障害者週間」です。

障害者週間の趣旨は、内閣府により、以下のように説明されています。

 

障害者施策の基本的方向を定める「障害者基本計画」(平成14年12月24日閣議決定)においては、我が国が目指すべき社会として、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う「共生社会」を掲げています。このような「共生社会」は、国民一人一人がそれぞれの役割と責任を自覚し、主体的に取り組むことによりはじめて実現できるものです。

(略)

 

出典:内閣府サイト:障害者週間とは

本記事では、

「では、障害者差別とは何なのか?」

を、ご一緒に考えてみたいと思います。

私見ですが、日本の障害者の置かれている状況は、まだ「共生」を近未来の目標とできる段階には程遠く、差別をなくすことに最優先で取り組むべき状況にあると考えています。

「共生」の妨げになっている「差別」

「共生社会」のための取り組みは重要なのですが、それ以上に重要なのは、差別そのものを「ないこと」にせず実情を明らかにし、正面から取り組み、なくしていくことです。

「基本、障害者差別はあんまりない。時々、インシデント的に変な人がやらかすことはあるけど」

という段階になって初めて目指せるのが「共生」ではないでしょうか?

「共生」を最も妨げるものは、差別です。

共生のためには、まず最大の阻害要因である差別をなくすことに取り組む必要があります。

思い起こしていただきたいのは、子どもの虐待問題です。

子どもの虐待を可視化しやすく対策しやすくするために有効だったのは、「愛しましょう」ではなく「虐待は悪だ」ではなかったでしょうか? いまだ、充分ではありませんけれども。

障害者に対しても、「仲良くしましょう」「一緒にやりましょう」よりも「傷つけるな」「痛めつけるな」、つまり「差別するな」が優先されるはずです。

では、何が「障害者差別」なのでしょうか?

単純明快な「障害者差別」

障害者差別を一言で言い表すと

健常者と障害者に異なる扱いをすることは、障害者差別(ただし合理的配慮を除く)。

以上、です。

健常者にしないことを障害者にしたら、あるいは健常者にすることを障害者にしなかったら、障害者差別なんです。

たとえば、日常的かつ些細、しかし「あるある」で言えば

「同年齢・他の条件が同等の集まりで、健常者には敬語を使って『さん』、でも障害者に対してだけタメ語を使って『ちゃん』づけで呼ぶ」

は、障害者差別です。

まずは、こういう明確な差別に対して「したら恥ずかしい」を日本の常識にする必要があるのではないでしょうか。

「同じ場に健常者と障害者がいるときに、違う扱いをしないように心がける」

だけで実現できる「差別を減らす」は、そんなに難しいことでしょうか?

もちろん、それでも

「相手はニコニコ振舞っているけど、実のところ差別と感じて内心ムカついている」

はありえます。

このための対策は、障害者に「それは不愉快だからやめてほしい」と言われたら素直に耳を傾けること、障害者がそういう言挙げをしやすいように配慮すること、言挙げをした障害者が「悪い障害者」とされ「良い障害者」と分断されないようにすること、でしかありません。こちらは「差別を減らす」に比べると難しいかと思いますが、場面や時期を限定して実現することは、そんなに困難でもないだろうと思います。よい実践や経験者が増えれば、状況は少しずつでも変わっていくでしょう。

というわけで、私は「日本から障害者差別がなくなる」の実現可能性については、そんなに悲観していません。

現在51歳の私は、あと50年くらいは生き、100歳くらいまでは車椅子の上で元気に執筆活動を続けるつもりでいます。

それだけ生きれば、生きている間には実現の片鱗を見ることができるかもしれません。

「合理的配慮」って、なんだ?

では、さきほどの

健常者と障害者に異なる扱いをすることは、障害者差別(ただし合理的配慮を除く)

の「合理的配慮」とは何でしょうか?

たとえば職場ならば

「聴覚障害の同僚がいる職場では、伝達事項は全部文字化するルールとする」

「車椅子の同僚がいる職場では、車椅子の動線を確保し、本人が必要とするものは本人の手の届くところに置く」

といったことが、合理的配慮にあたります。

「仕事をする」にあたっての前提条件を健常者の同僚と同等にする、ということです。

本当は、職場の配慮だけでは充分に「同等」とはならず、本人の地域生活・家庭生活も含めて「暮らせる」が必要です。

しかしながら、職場に何の配慮もなければ障害者が仕事にならないのは明らかです。

「合理的配慮」の成否を分けるキモは、「障害者が不当にも特別扱いされている!」と周辺の健常者が感じるかどうか、にあります。

「障害のある同僚のために」するという発想なら、どうしても「逆差別!」という反応を引き起こすでしょうね。

ここは「障害のある同僚を含む職場という部分社会全体の状況をよくするための環境などの調整」と考える必要があります。

たとえば、伝達事項が全部文字化されれば、「言った・言わない」のトラブルは減らせます。

車椅子の動線を確保するついでに、職場のレイアウトや職場に置いておく書類等を見直し、共用書類棚の前にちょっとしたコーヒーテーブルでも設置して、全員が気持よく仕事できる環境を作るなどすることも可能でしょう。

その職場の部分社会全体が、障害のある同僚も含めて、より良いものに調整されるプロセス、調整された結果、より良くしていくプロセスが続いていくことこそが、「合理的配慮」のありつづける状態なのです。

この状況で「逆差別!」という声は上がらないでしょう。

職場だけでは足りない「合理的配慮」

「合理的配慮」は、職場だけではなく、「生きる」「暮らす」のあらゆる場面に必要です。

就労して収入を得るとヘルパー派遣を受けるために支出が必要になり「働かない方がマシ?」となったり、そもそも公的障害者福祉制度の数々は、原則、通学・就労・営業には利用できないことになっていたりします(独自に認めている自治体もありますが)。

「入浴する」「身だしなみを整える」といったことのために、どうしても必要なヘルパー派遣ですが、費用以外にも利用条件の制約(「居宅介護」である以上は家の中だけでしかダメ、とか)があったりします。

私自身も「生きる」「暮らす」が可能になるまで、行政とずいぶん交渉する必要がありました。「使いやすくすると、障害者はいくらでもゼイタクに使うから」というのが行政側の主張でした。まあ、たまにそういう障害者がいないわけではない、ということは私も認めますが、不足に困っている障害者の方が圧倒的に多いです。

「これを解消しないで、障害者に『福祉から就労へ』って、なんだよ?!」

という思いが、私にもあります。

しかしながら、その話をすると長くなるので、今回はやめておきます。

障害者の「ありがた迷惑!」と「合理的配慮」の関係は?

障害者がしばしば困らされる「小さな親切、大きなお世話」「小さな親切、大きな迷惑」「小さな親切、大きな危険」の類は、いずれも「どのような意味でも合理的配慮ではない」と言うことができます。

「全盲の人が電車のホームから落ちそうになっていたら、『落ちますよ』と声をかけて腕をつかむなり何なりして安全を確保する」

は、まあギリギリ「合理的配慮」のうちでしょう。それ以前の話、ちょっとしたことで生命に危険の及ぶ生活環境が大問題、ということでもありますが。

私がときどき困らされるのは、電動車椅子で横断歩道を渡り終えるときです。

車道と縁石の間に若干の段差があるとき、そのまま進むと縁石に引っ掛かり、運が悪いと前方転倒ということになります。これで骨折したり、運が悪いと亡くなったりする電動車椅子族、時々います。

私の電動車椅子は「簡易電動」と言われるタイプ、手動の車体に電動化モジュールをつけたもので、手動運転を行うこともできます。車輪がものすごーく重いので、従って手動運転も力技になってしまうんですけど、5cm以内の段差なら「前輪を持ち上げて手動運転して越える」が可能です。

ところがその場面で、「押しますよ」と言ってくる人がいたりするんです。「押しますよ」と言う前にもう押していたり。

すぐそばに左折車が来ているので早く歩道に上がろうとしているときに、背後の「押しますよ」への対応という新しいタスクが加わることの脅威感。車椅子生活を経験したことのない方に、どう伝われば伝わるだろうかと思いますが、これは非常に脅威なんです。もしも自力で越えられないと判断したら、最初から周囲の人に手助けを頼んでいます。

いきなり押された場合には、さらに危険が発生します。私は手動運転に切り替えた瞬間に、もうハンドリム(車椅子の手動運転をするため、車輪につけられた手回し用の輪)をつかんでいますが、指の態勢まで同時に整っていないことがあります。そういう時には、指先が車輪のスポークの中に入っていたりするわけです。その状態で後ろから押されたら、指が車輪に巻き込まれます。実際に過去、何回も痛い思いをしました。押した方々は、「ごめんね」と言いながら立ち去るだけでした。

障害者が「迷惑だ」と感じるタイプの「親切」「優しさ」「思いやり」は、どのような意味でも「合理的配慮」ではなく、むしろ形を変えた差別というべきです。

「まず日本社会は、障害者の言挙げに耳を傾けることから始める必要がある」

と私は思っています。

けっこう充実、内閣府のセミナー。でも障害者自身は?

内閣府は、昨日12月5日・本日12月6日と、東京・中野で「障害者週間 連続セミナー」を開催しているようです。

私は、昨日・本日と別件の用事があり行けませんが、なかなか充実した内容です。

障害を持つ子どもの育ち・学びを支え、まだまだ困難多い障害児の親を支え、成人してもやはり大変な障害者が実社会での就労その他の「大人の生活」を営めるための知識と知恵と具体的な対策の多数について、タイトルと講演者の名前を見ただけで「おおっ!」と感じる講演多数が並びます。

とはいえ、どちらかといえば支援者や周辺の人々寄り、「障害者本人は?」という気持ちも沸きます。

来年はぜひ、内閣府主導で「障害者の『差別された』に耳を傾ける」を実現させてほしいものです。

万が一にも健常者社会にとっての「いい子ちゃん」障害者だけを集めてモノ言わせるのではなく、健常者社会が見たくない障害者の姿、聞きたくない障害者の声にも、「互いに、ここを乗り越えなくちゃ」という動きを政府主導で作っていただけないものでしょうか?

健常者が望まないであろう姿を見せ声を上げるとき、障害者は「被害者意識」「被害妄想」「何様のつもりだ」「障害者のくせに」「障害者福祉も年金・生活保護などの所得保障も返上してから言え」という反応を覚悟する必要があります。

声を上げる障害者は、内心の恐怖と闘い、「いい子ちゃん」をしたり泣き寝入りしたりすることによって得られている(偽りといえども)日常の平穏を失ってもよいかどうか何度も自問し、万一そうなった場合の「自己責任、雉も鳴かずば撃たれまい」という嘲笑も覚悟した上で、「それでも」と声をあげているのかもしれません。

健常者社会の中で声を上げるとは、そういうことです。

やっても無駄かもしれませんが、やらなければ永久にこのまま、もっと悪くなるかもしれない。だから声をあげるのです。

私は自他ともに「(障害者)運動家」と認めていない人間ですし、「とても付き合えない」と感じるタイプの運動もままありますが、それでも「自分の代わりに声をあげてくれている」という感謝の気持ちが全く湧かない障害者運動はありません。今のところ、社会に対して何等かの異議申し立てをすることが出来ている障害者は、乙武洋匡さんを除いて、ほぼ、障害者運動家たちだけですので。

「寝た子を起こしてくれるな」という気持ちで、ひっそりと暮らしている障害者たちも含めて、すべての障害者が日本の全ての場所で、世間に怯えずに堂々と生きられ、仕返しやバックラッシュを恐れずに堂々とモノ言えるようにならなくては、と私は思っています。

収入の100%が生活保護である障害者や、ヘルパー派遣・特殊な車椅子・人工呼吸器などが利用できなければ10分も生きていけない障害者を含めて、すべての人が自らの状況を表明することができ、理解されることができ、差別されたときに「No」を言うことができ、必要な資源を何等かの形で得て生きて暮らすことができるのでなければ、「共生」はありえません。

なぜ「共生」「合理的配慮」をしなくてはならないのか?

2014年1月、日本は国連障害者権利条約を批准しました。

批准にあたって必要な国内法整備として、障害者基本法を改正し、障害者差別解消法を制定しました。

「共生」も「合理的配慮」もイヤだ、というのなら、国連障害者権利条約を批准しなければよかったのです。

国として批准した以上、国民の選んだ政権が批准した以上、やるべきことはやらなくてはなりません。

国連障害者権利条約の「Reasonable Accommodation」の訳が「合理的配慮」でよかったのかどうか、外務省の公式訳(前掲)がどのような経緯というかスッタモンダの末にこうなったのかについても、本が一冊できそうな物語があるのですけれども、今日はこのあたりにしておき、最後に

健常者と障害者に異なる扱いをすることは、障害者差別(ただし合理的配慮を除く)。

と、もう一度繰り返しておきます。


http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20151206-00052175/


障害者を積極的に雇用するIT企業社長、自身もパニック障害に苦しんだ過去も

ITシステムの構築やITエンジニアの派遣をはじめ、飲食事業「匠(たくみ)カフェ」など、多角的に事業展開をしている株式会社アイエスエフネットグループ。

自閉症スペクトラムなどの発達障害から、うつ病や統合失調症などの精神障害、知的障害など、障害の程度や症状もさまざまな人々が活躍する同社ですが、その経営方針は、創業者・渡邉幸義(わたなべ・ゆきよし)さんの著書『雇用創造革命-ひきこもりも知的障がいも戦力にする執念の経営-』(ダイヤモンド社刊)、『お母さん、障がいの子どもを応援しますよ。』(学研パブリッシング刊)でも紹介されています。

また、障害者本人だけでなく、当事者の親と直接対話し、情報を共有する「ご家族と語る会」を実施し、家族からも高評価を得ている渡邉さんですが、近著『つながる雇用を実現します!  誰もが輝ける会社に──アイエスエフネットの限りない挑戦』で、「実は、私自身もかつては精神の不調に悩まされた、メンタル不全者でした」と、自身がパニック障害の症状に苦しんだことを打ち明けています。

起業する前に、会社勤めをしていた渡邉さんは、仕事のストレスでボロボロになり、食欲不振や不眠、電車に乗れなくなる、何度も救急車を呼ぶほどの過呼吸など、7年間もパニック障害の症状に苦しむ日々を送っていました。

ところが、アイエスエフネットを創業したとたん、症状は改善。

渡邉さんは当時を振り返り、「人とのつながりよりも数字や効率が優先される場所では、だんだんと心は疲弊していく(中略)自分の意志ではコントロールしようがない心身の不調というものがあるのだと、身をもって知った」(同書より)と述べています。

自身の経験を踏まえ、「誰もが安心して働ける社会を作りたい」(同書より)という考えに行き着いた渡邉さんは、障害者以外にも、ひきこもりやニートなど就労困難者の雇用にも意識的に取り組んでいます。自身の経験を交えて語る同書の言葉は、当事者はもちろん、ご家族の方にとっても、希望の光となって響いてくることでしょう。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151207-07300029-webhon-ent


65歳を境に障害者の自己負担9倍 介護保険優先維持で

厚生労働省は11月27日、障害福祉サービスの利用者が65歳になり介護保険サービスの利用に移った結果、自己負担が約9倍に増えたとする調査結果(中間報告)を明らかにした。同日の社会保障審議会障害者部会に報告した。厚労省は、65歳を超えると介護保険の利用を優先する原則を維持する方針。障害者総合支援法の見直し議論では、高齢障害者の問題が大きな論点になっている。

調査は今年7~8月、全国1741市区町村に実施。11月までに889の自治体から回答があった。その結果、2014年度中に障害福祉サービスの利用を終え、介護保険利用を開始した1764人の実態が分かった。

それによると、介護保険への移行前の月の平均自己負担額は767円。これに対し、介護保険への移行翌月の平均自己負担額は7183円だった。

1764人の障害種別の内訳は「身体障害」(62%)、「精神障害」(20%)、「知的障害」(10%)。利用していた障害福祉サービスは「居宅介護」(66%)が最も多く、介護保険に移ってからは「訪問介護」(50%)の利用が最も多かった。

厚労省は、一律に介護保険に移すことのないよう自治体に通知を出しているが、実際には65歳を超えて移行を余儀なくされ、自己負担が急増する「65歳問題」が発生。これを不服とした障害者が市を相手どって裁判を起こす例もある。

2010年1月に国と基本合意を結び、和解した障害者自立支援法違憲訴訟団は、介護保険優先原則による自己負担の変化を調べるよう要請。厚労省は調査結果を今秋中間報告すると回答していた。

同訴訟弁護団の藤岡毅事務局長は「本来、負担を軽減すべき65歳を境に負担が激増する理不尽な実態の一端が浮かび上がった。国は今度こそ真剣に私たちの訴えを受け止め、このことで苦しむ全国の高齢障害者を救済すべきだ」としている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151207-00010000-fukushi-soci


来年度の法律施行で問われる公立学校の障害児サポート 専門家が解説

2016(平成28)年度から施行される障害者差別解消法によって、一般の小中学校に通う障害児に対する保護者の付き添いが問題になる可能性があるという。ベネッセ教育情報サイトが、教育ジャーナリストの斎藤剛史氏に何が課題になるのか話を聞いた。

障害者差別解消法が施行されると、公立学校には障害がある子どもたちへの介護や支援などに関する、「合理的配慮」の提供が義務付けられることになっています。この「合理的配慮」の範囲が問題となりそうなのです。

障害のある子どもの保護者は、学校での日常的な付き添いは負担が重く、仕事に就くこともできないため、付き添いを必要としないよう「合理的配慮」を求めます。逆に学校は、教員や特別支援員などの人員増は財政的に困難なため、「合理的配慮」の対象にはならないという考え方を取ることになります。文科省は、同法の施行にあたり、保護者に付き添いを求めることができるかどうかが、「(公立学校の)合理的配慮の提供において一つの論点となる」との認識を持っています。

現在、小中学校の特別支援学級には、小学校で約12万9,000人、中学校で約1万7,000人の子どもたちが在籍しています。約1,900人の保護者の付き添いは、今は数字的にはごく少数に見えますが、今後、一般の小中学校に入学を希望する障害児は増えると予想されます。その際、学校が「合理的配慮」として、どこまで対応すべきなのかが大きな課題になってくるのは確実でしょう。レアケースとも見える付き添い問題の背景には、小中学校は障害のある子どもたちにどこまで配慮すべきなのかという大きな問題があることを、一般の保護者も知っておく必要があると思われます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151203-00010003-benesseks-life


接客などの技能競う12種目に89人が挑戦 近江八幡でアビリンピック

障害のある人がパソコン操作や接客などの職業技能を競う「アビリンピック滋賀」が、近江八幡市古川町の滋賀職業能力開発短期大学校で開かれた。89人が参加し、日ごろの成果を発揮しようと真剣な表情で取り組んでいた。

独立行政法人「高齢・障害・求職者雇用支援機構」の滋賀支部が主催。障害者の職業技能の向上や、障害者の就業への理解を深めてもらうことを目的に、平成14年から開いている。

大会競技は、パソコン操作や製品の包装、清掃、喫茶サービスなど12種目。このうちホームページ制作では、視覚障害者が文字の大きさを通常の5倍以上に設定したパソコンを用いてホームページを作っていった。

また、喫茶サービスでは、客に扮した一般の見学者らにコーヒーなどを提供。新聞や雑誌などの読み物はあるか、店内で喫煙してもいいか、など客の要望に臨機応変に対応していた。

ほかにも、ミシンを使った縫製技能の競技などが行われ、参加者らは制限時間内に課題を仕上げようと、黙々と競技に取り組んだ。

喫茶サービス競技に出場した、働き教育センター大津の浦杉香さん(24)は「笑顔でテキパキと接客することを意識した。9月から練習してきた成果を出せたと思う」と振り返った。

同支部の高齢・障害者業務課の丹羽政仁課長は「企業などに障害のある方の姿を見てもらい、雇用促進につなげたい」と話していた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151204-00000053-san-l25


パラリンピック 「観戦したい」7割も「関心ない」半数迫る 都調査

2020年東京パラリンピックを会場やテレビで観戦したいと考えている人が7割を超えることが都の世論調査で分かった。一方で、障害者スポーツに「関心がない」とした人は「関心がある」人を上回る半数近くに上っており、障害者スポーツの普及に向けた一層の工夫が求められそうだ。

調査は8~9月、都内に住む20歳以上の男女1900人に聞き取りで実施した。東京大会を観戦したいかという問いに対し、「観戦したい」と答えた人は72・3%。「競技会場で直接観戦したい」が16・1%、「テレビやインターネット中継」が43・6%だったが、残りの12・6%は「観戦したいが、方法が分からない」と回答した。

また、障害者スポーツに「関心がない」「あまり関心がない」とした人は計48・8%で、「関心がある」「やや関心がある」とした人計44・9%を上回った。関心を高めるための取り組みについては、「大会のテレビ中継」(47・4%)や「プレーを間近に見る機会があること」(28・3%)などが挙げられた。

調査を受け、都オリンピック・パラリンピック準備局の担当者は「まずは競技やルールを知ってもらいたい。来夏はリオデジャネイロ大会があるので選手の活躍を通じて、一層の普及に努めたい」と話した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151204-00000011-san-l13


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