「公害の原点」といわれる水俣病。原因となった水銀の使用や輸出入などを国際的に規制する新たな条約の制定に向けた国連の会議が先週、閉幕しました。
会議では条約の名称を、水俣病の教訓をいかすために「水俣条約」とすることが決まりました。
水俣病を風化させたくないと訴える県内の被害者たちはどう受け止めたのでしょうか。
立川小三郎さんは(72)水俣病の被害を伝える語り部として活動を続けています。
長年、阿賀野川で船を渡す船頭として働いてきた立川さん。20代のころから手足のしびれやめまいなどの水俣病の症状に苦しんできました。熊本で発生したあと、再び新潟で繰り返された水俣病。立川さんは、将来を担う子どもたちに被害の実態を知ってほしいと考えています。立川さんは「こういう公害は、絶対に、二度と二度と、起こさないように、みんなで勉強していってもらいたいと思います」と訴えました。立川さんの講演を聴いた子どもたちは「水俣病の病気自体知らなかったです。怖さとか不安がよくわかりました」とか、「知らない人にも伝えて二度と
起こさないようにしたい」などと話していました。
水俣病の悲劇を二度と繰り返してはならないと国際社会でも議論が進んでいます。先週、スイスで開かれた水銀の規制について話し合う国連の会議では各国が環境汚染や健康被害を防止するための新たな条約について合意しました。
水俣病を教訓に条約の名称は日本政府が提案した「水俣条約」に決まりました。日本政府の担当者は「これをいかに本質的に実施していくかが我々に課された課題ですので、水俣の地元の関係者の方とも意思疎通を図りながら条約の円滑な実施に全力で取り組んでいきたい」と話していました。
国連の会議の決定を、立川さんやほかの語り部たちは好意的に受け止めました。条約に「水俣」の名前が残されたことで世界中の人に被害の実態が伝えられていくと考えたからです。語り部たちの平均年齢は74歳。水俣病の症状に加え、年齢を重ねるごとに体の衰えは避けられません。
立川さんも足のしびれやめまいが消えることはないといいます。
語り部として活動できる時間はそう長くはないと感じる中、
立川さんは被害の実態が風化することなく引き継がれていくことを強く願っています。
立川さんは「もう年ですのでね、あとどのくらい水俣病について語り部として伝えていけるか心もとないのですが、これを機に、我々のような水俣病を今後絶対に発生させないということを、きちっとみんなで確認できれば幸いです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/niigata/lnews/1034864491.html?t=1358872693362










