「緘黙(かんもく)」とは、ある特定の場面になると、何も話せなくなる状態のことで、「場面緘黙症」とも呼ばれている。
中には、特定の場面だけでなく、家族も含めて、すべての場面において話せなくなる「全緘黙(症)」の状態になる人もいる。
こうした「緘黙症」の人たちの存在は、過去の連載(第108回参照)などでも取り上げたが、それまではまったく知られていなかったにもかかわらず、実は潜在的に多いかもしれないことがわかってきた。
しかも「大人になれば、自然に治る」と専門家から言われてきたのに、何年経っても状況は本質的に変わらない。それどころか、大人になると、学校の問題から離れ、本人の生涯にわたる大きな問題になり得ることも明らかになってきたのだ。
そんな「緘黙症シンポジウム」が、日本特殊教育学会の自主シンポジウムとして、9月1日、明星大学日野キャンパスで開かれ、会場には満席の60人以上の参加者が詰めかけた。
赤ちゃんの頃は静かな「いい子」だったが…
小学生になっても友人と話せない
シンポジウムではまず、「緘黙症」当事者で「かんもくの会」を立ち上げたHさんが講演した。
その中でHさんは、20代半ばの娘が「引きこもり」状態にある母親K子さんの事例を紹介した。K子さんの娘は、いまも働きに出ることができず、毎日自宅で過ごしていて、友人は1人もなく、家族ともまったくしゃべることができない。
娘は、赤ちゃんの頃から極端に大人しい子で、あまり泣くこともなく、知らない人に抱かれても大人しく抱かれていた。また、親の言うことは素直に聞く、手のかからない「いい子」だった。
小学校では、友人と遊んだりおしゃべりしたりするのが苦手で、休み時間は本を読んだり、1人で図書室にいたりした。
社会科見学でバスの席を決めるのに、仲のいい子同士で座れるように決めたら、1人残された。自分から声をかけることができない娘は、誰かが「一緒に座ろう」と言ってくれるのを待っていたのではないか、とK子さんは振り返る。取り残されたようでつらかったのだろう。先生が「誰と座りたいの?」と尋ねると、泣いてしまった。
国語の音読で、先生から「もっと大きな声で読みなさい」と注意され、何度やり直しさせられても、大きな声は出なかった。
家庭訪問や個別懇談のたびに、K子さんは「つらいのではないか?」「何か障害があるのではないか?」と相談するものの、先生の答えはいつも「心配しなくても大丈夫」というものだった。
6年生のとき、修学旅行のスナップ写真を娘に見せてもらって、ハッとした。クラスメートたちが楽しそうにピースしている中で、娘1人が能面のように無表情。3学期が始まってからは、1度も登校することなく、卒業式にも出席しなかった。
中学校の入学式には出席した。しかし、3週間後には不登校になり、そのまま卒業式にも出席しなかった。
K子さんが「場面緘黙」の言葉を知ったのは、不登校が始まった頃。図書館で娘に当てはまる症例を見て、いままでつらい思いをしてきたのは、本人のせいや性格のせいではないことがわかり、嬉しかった。
しかし、適応指導教室の先生に相談すると、場面緘黙の言葉を娘に伝えるべきでないと諭された。「病名をつけることより、親が子どものことをしっかり理解してあげること」と言われ、確かにその通りかもしれないと、そのときは思った。
「子どもと口をきいてはいけない」
中学校相談室のアドバイスが仇に
中学2年の頃、K子さんがカウンセリングや相談室へ行っても、不登校のみを問題視され、緘黙症についてはおざなりにされた。「子どもが学校へ行かないのは、家を居心地のいい場所にしてしまっているから」「子どもと一言も口を聞いてはいけない」という相談室の指導に違和感を抱きながらも信じた。
相談室の手法は、親子の関係を壊し、子どもと信頼関係を結んだ第三者が介入して学校へ引っ張っていくというもの。しかし、娘は第三者に引っ張られても学校へは行けず、相談室からも「あなたたちのような親子に関わっている時間はない」と見切られた。
以来、娘は家族ともまったく話さなくなった。娘に「私が間違っていた」と泣いて謝ったが、あの日から、いまに至るまで、娘の声を聞くことができずにいる。
現在、自治体の「ひきこもり地域支援センター」の職員が、月に一度、自宅を訪問している。しかし、同センターは「引きこもり支援」を始めてまだ日が浅く、「引きこもり」のことも勉強中で、「緘黙症」のことはまったくわからない様子だった。
訪問を始めた頃、娘は職員を部屋へ入れてくれていたものの、職員が一方的に話をするだけ。半年ほどすると、職員が来ても、娘は部屋のドアを開けることもなくなった。
「小さい頃に適切な治療を受けていれば…」
親たちに募る後悔の念
Hさんによれば、最近の様子をK子さんに伺ったところ、この手記を書いた5年前の状態のまま何も変わらないという。
「幼少の頃、場面緘黙の存在がわかっていて、適切な治療を受けていれば…。娘のいまは、もっと違っていたかもしれない」――これはK子さんに限らず、大人の緘黙症当事者を抱える家族共通の思いだろう。
「成人後も緘黙のまま、影響を受けている人たちはたくさんいる。なぜ緘黙というと、子どもの問題で、大人になれば治るといわれるのか。第一義的に、話さないし、自分のことを表に出さない。本当の声が周囲に届かないのです。また、もっとも身近にいる家族が子どもの状態を楽観してしまうケースが多い。とくに場面緘黙の場合、何が起こっているのかまったく気づきにくいこともある」
そうHさんは訴える。
学校でも、問題を認識しても、他のもっと手のかかる子どものほうを優先してしまう結果、後回しになったり、放置されたりしているという。
また、大人になって引きこもってしまうと、そういう状況を家族が報告するしかない。しかも、関心の中心は、自分が亡くなったら、この子はどうやって生活していけばいいのか?に移っていくことになる。そうなると、元々の問題の根幹である「緘黙」が覆い隠されて表面化しないのではないかと推測する。
Hさんは、問題解決に向けて、学校や幼稚園に通う当事者のために、「教員研修に緘黙症の項目を入れる」「大人になっても支援が引き継げるようなシステムの構築」「緘黙特有の特徴を理解する専門家の養成」「統計的な調査の実施」などを提案する。
緘黙症のグループ化がカギ?
効果的な支援方法を見つけられるか
次に、「信州かんもくサポートネットワーク」を運営している長野大学社会福祉学部の高木潤野講師が「緘黙症の状態像は多様だが、共通点もある」と報告。例えば、年齢の低い当事者の場合、「僕のところに初めて来ると親にしがみついて離れない。でも、外遊びを始めると、大きな声を出しながら遊べる子が多い」と話す。つまり、どこかで上手にエンジンをかけることで、その子の持っている力が発揮しやすい状態を作り出せると指摘する。
海外では20年ほど前から研究が進んでいて、「社会的な状況で話せない」緘黙症の背景にあるのは「不安障害」との捉え方が一般的になってきているという。一方で、不安障害以外にも「自閉症」や「コミュニケーション障害」などの様々な背景も指摘されてきた。
高木講師は、「表に出てくる状態像と、背景にある要因を掛け合わせることで、グループ化できるのではないか」という仮説を立てる。
例えば、家では多弁に話し、背景に不安があるタイプの場合、不安を感じにくい場面では普通に話すことができる。だから家では話ができる場合、環境調整をしてあげることや、その場に慣れる、こんな風にすれば不安を乗り越えられることを学習していくことによって、不安を軽減していく方法が効果的なのではないかという。
例えば、家でも無口で、背景に自閉症があるケースもある。実際、この半年ほど、緘黙状態だと相談に来た当事者3人が「自閉症」の診断を受けた。
このように、効果的な支援方法を考えていくきっかけにできるのではないかと期待する。また、予後の予測も立てやすくなり、「大人になれば自然に治る」人は特定のタイプであることが推測しやすくなるというメリットもあるという。
この後、上越教育大学大学院臨床・健康教育学系の加藤哲文氏と「行動コーチングアカデミー」の奥田健次氏の2人が指定討論を行い、参加者との質疑応答が交わされた。
司会者の藤田継道(関西国際大学教育学部)氏は「この『かんもくの会』の活動を全国組織にして、もっと多くの人たちにも知ってもらいたい。引きこもっていて、より困り果てている人もいるので、『かんもく・ひきこもりの会』という全国組織を作ってもいい」と熱い思いを語った。
問い合わせ等は下記URLより
http://diamond.jp/articles/-/41223?page=4