◇三八豪雪で一躍脚光
地下水をポンプでくみ上げ散水して路上の雪を溶かす「消雪パイプ」は長岡市で産声をあげた。
発明者は長岡市議だった今井与三郎氏(故人)。浪花屋製菓創業者でもあった今井氏は、米菓「柿の種」を生み出したアイデアマンだ。漏れ出る地下水が雪を溶かしている様子を見て、消雪パイプを思い付いたという。
1961(昭和36)年3月、市議会で今井氏は地下水を使った融雪策を訴えた。前年、大雪が長岡を襲ったこともあり、消雪パイプの試験予算が承認された。試験場所は、地下水が豊富で当時、舗装工事が計画されていた長岡市坂之上町1の市道となった。幅8メートルの市道に舗装と同時に長さ55メートルのパイプが埋め込まれた。
同年8月15日、消雪パイプの実証試験が始まった。地下7メートルからポンプで水をくみ上げ、等間隔に空いたパイプの穴から散水する。ポンプを稼働すると水は勢いよく飛び出し計算を上回る高さに達した。当時、市土木課長補佐として試験に参加した西片正栄さん(87)は「水は一気に高さ10メートルまで噴き上がり、噴水みたいだった」と失敗を振り返る。その後、穴の間隔を縮めたり、穴を広げたりと試行錯誤を繰り返し、高さ30センチに水圧を調節した。
そして同年冬、消雪パイプを本格稼働させる。効果は絶大だったが、この年はあまり雪は降らず、市民の関心を集めることはほとんどなかった。
だが63(昭和38)年の記録的な豪雪「三八豪雪」で、消雪パイプは一気に評価を高めることになる。この年の1月、長岡は3メートルを超す積雪に街中が覆われた。災害救助法が適用され、自衛隊が出動。火炎放射器で雪を溶かそうとするが雪の塊は火炎放射器の火力でも歯が立たず悪戦苦闘した。
しかし消雪パイプがある道だけは違った。西片さんは「雪が降った翌朝、消雪パイプの道を見に行くと湯気が立っている。近づくと路面から黒いアスファルトがのぞいていた」とかつての興奮を語る。消雪パイプの活躍は長年雪に悩まされてきた市民に喜びを持って迎え入れられた。市は道路の舗装と同時に消雪パイプの普及を進めることになった。
消雪パイプの特許は今井氏が取得していたが、「特許料を融雪の研究費に充ててほしい」と長岡市に無償譲渡した。市は当初、消雪パイプ1メートルあたり150円の特許料を徴収していたが、豪雪地域の自治体から反発もあり、69(同44)年に無償公開に踏み切った。
消雪パイプが普及する一方で、地下水の過剰揚水による地盤沈下が問題視されるようになった。市は68(同43)年、消雪パイプの新設を原則中止とし、除雪車による除雪に力を注ぐようになる。
それでも市民の消雪パイプへの要望は大きかった。市は地下水の利用制限や、節水機能を持つシステムの開発、消雪パイプを私設する場合は補助金を出すなどルールを策定し、地下水と消雪パイプのバランスを模索している。同市の細山俊一土木部道路管理課長(55)は「高齢化と核家族化が進み、玄関先の除雪が大きな負担となる世帯が増えている。消雪パイプはその負担を解消してくれる」と説明する。
2011年からは消雪パイプを夏の暑さを和らげる「打ち水」として利用する新しい取り組みも始まっている。西片さんは「消雪パイプは雪国に住む人にとって希望。さらに発展してほしい」と話す。
1月5日朝刊
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