■愛さえ与えていればいい
結婚の日、父はこう送り出した。
「いつでも帰ってこい」
料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミさんにとって、父、威馬雄さんは「優しくて、おもしろくて、愛情深くて、気持ちが大きくて、何でも知っているお父ちゃん」だった。
文学者でありながら、空飛ぶ円盤や幽霊を研究する意外な一面も。家には弟子や学生、引き取った混血児、知らない人までうじゃうじゃいる。正義感が強い威馬雄さんは、自身が差別された経験から、混血児を救う活動に力を注いでいた。
「魂は日本人なのに、顔が違うというだけで差別されることがどんなに悲しいことか」。混血児が事件を起こすたび、北海道から沖縄まで飛んでいった。
頼まれると、即興で詩を書いた。腹ばいでお尻をグッとくねらせ、色紙に一息で書く。
かと思えば、人の名前が覚えられず、誰もが『ヤマダさん』に。故遠藤周作を『ヤマダくん』と呼んで、『僕はヤマダじゃございません』と返されたこともあった。
『勉強しろ』と言われたことは一回もない。通信簿を渡しても、中を見ずに『いい子だ、いい子だ』と頭をなでてくれる父だった。
多くの人が出入りする自宅での“社会勉強”があまりにおもしろいから、つまらない勉強を強制する高校に反発した。
「茶室で父の前で初めて正座して『お父ちゃん、学校やめたくなっちゃった』と言ったの。そうしたら『いいよ。もっと自由で合ったところがあるよ』って。すごかった。一言も理由を聞かなかったんだから」
結婚を決めたときもそうだ。
「実家を訪れた和田さん(夫でイラストレーターの和田誠さん)に何も言わずに紙2枚と鉛筆を渡して、『女房と自分の似顔絵を描きたまえ』って。あいさつなんて何もなかったのよ」
子供を信じ、愛さえ与えていれば何も言わなくていい。これが父親から得た「子育ての秘訣(ひけつ)」だ。
レミさんは、2人の息子が小さい頃、よく台所で勉強をさせた。
「野菜を洗う水の音、包丁でトントン切る音、全部聞いてもらう。子供のために作るという姿を見せることが大事。子供は見てるものよ」
ロックバンド「TRICERATOPS(トライセラトップス)」のボーカルで長男の唱さん(35)も次男も、よく実家に戻ってくる。
家の居間には、威馬雄さんが初めて娘夫婦の家に来たとき持参した色紙が飾られている。
『風つよければ 神さまは 靴のかかとに 棲み給う』
威馬雄さんは「詩なんて自由に解釈すればいい」と言っていた。その死後、放っておいた色紙と初めて向き合った。
「嫌なことがあったとき、神様は靴のかかとで支えているという意味じゃないかって。私にとって、神様はお父ちゃん」
どんなことがあっても倒れないよう支えてやる。お尻をグッとくねらせた父の姿が浮かんだ。(道丸摩耶)
≪メッセージ≫
お父ちゃん、ひ孫ができました! もう知ってるかな。幽霊になって出ることはないと言ってたけど、本当は遊びに来てるでしょ。
【プロフィル】平野威馬雄
ひらの・いまお フランス文学者。明治33年、東京生まれ。モーパッサンなどの翻訳を手掛け、詩人としても活躍。美術史家で法律家の米国人ヘンリイ・パイク・ブイを父に持ち、ハーフとして差別に苦しんだため、混血児を救う活動にも取り組んだ。昭和61年、86歳で死去。
【プロフィル】平野レミ
ひらの・れみ 東京都生まれ。主婦として家庭料理を作り続けた経験から、“シェフ料理”でなく、“シュフ料理”をモットーにテレビや雑誌で活躍。多機能鍋「レミパン」やエプロンなどのキッチングッズの開発も手がける。著書に『平野レミの愛情おかず』(セブン&アイ出版)など。
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