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障害者雇用に理解を 厚労省と県が連携強化

県内企業法定雇用率下回り、全国43位

県内企業の障害者雇用率が法定雇用率を下回っていることから、厚生労働省新潟労働局と県などがプロジェクトチームを作り、障害者雇用の推進に向け、連携を強化している。企業の経営者らに、上越、中越、下越の3地区で障害者雇用に取り組んでいる企業を視察してもらい、積極的な採用を呼びかけている。

県内企業の障害者雇用率(6月1日時点)は、法定雇用率(1・8%)を下回る1・54%。全国順位も43位と低迷している。前年は46位で、改善傾向にあり、新規の就職数は2009年度の784人から昨年度は954人に増えた。

企業の経営者らが19日に視察する「新潟ワコール縫製」(新潟市西蒲区、従業員数230人)では、身体障害者2人、知的障害者4人、精神障害者2人の計8人が働いており、雇用率は4・14%。勤続30年を迎えたベテラン従業員もいる。同社では下着やスポーツウエアを製造しており、障害者も裁断や縫製、検査・包装などを担当している。

知的障害のある従業員は作業中、周囲に迷惑がかかる独り言を言ったり、午後に集中力が欠けることが目立つことから、同社は「目標達成シート」を導入。目標を達成してシールを貼ることでやる気を引き出し、当初は軽作業を担当していたが、今では半自動の電子ミシンを1人で操作できるようになったという。

電子ミシンの導入には、国の独立行政法人が、障害者の雇用促進を目的に支給する助成金も活用した。

障害のある従業員は「不良品を出さないように丁寧に仕事をしたい。周りの従業員もとても優しい」と話す。

坂森猛社長は、障害者を採用する際のポイントとして、〈1〉特別支援学校などでの訓練内容の把握〈2〉本人や家族との面談〈3〉実習期間を設けて、本人の得意・不得意分野の把握――などを挙げる。

坂森社長は「生産力も高めながら、障害者雇用も進めるためには知恵や工夫が必要。障害者を特別扱いすることなく、一緒に働ける環境を作ることで、健常者の勉強にもなる」と強調する。

県などは来年2~3月、県内3か所で障害者雇用を目的とした面接会を開く予定。同局職業対策課の菅文男課長は「本県の障害者雇用率はまだ低い。知的障害者や精神障者者の就職希望も増えており、雇用に結びつけたい」と話している。

 

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news/20111207-OYT8T01286.htm


隻腕の少年

笠井です。

栃尾から防災センターへ向かう帰り道の豊田小学校近くに差し掛かった時のこと。
その時間はちょうど下校の時間帯だったようで、黄色い帽子をかぶった子ども達が大勢歩いていた。

何とはなしに車の速度を緩めてゆっくり走っていると、左手草むらの中から少年が飛び出してきてビックリした。
半そで姿の少年の左腕は、上腕の中間、半そでの袖口からちょっとだけ腕が見える程度のところから下がなかった。

少年は草むらから飛び出してくるなり、「うわぁー、うわぁー」と顔を空のほうに向けて泣き叫んでいた。

通りかかり様にその様子を見た私は、すぐに車を止めようと思ったのだが、私の車のすぐ後ろを後続車が走っていたため、50mほど走らせて切り返し、少年のそばまで行って、車を止めて、車の外に出て、少年に声を掛けた。

「おーい、どうした?何があったの?なんでそんなに泣いてんの?」

子どもは泣き顔のまま、
「ランドセルのカバーが川に流れたー。どこかに行ったー。」

いじめられでもしたのかと心配しながら声を掛けた私だったので、その理由を聞いて、ちょっとだけほっとして、
「なぁーんだ、そんなことか。おじさんが取ってあげるから、どこに落としたのか言ってみろ。」と言うと、、、
子どもは、なおも泣き顔のまま大きく首を振り、
「うんうん、もういい。だって、流れていっちゃったんだ。もうダメだよ。もうダメだよぉぉぉ。」
と言いながら、さらに泣きじゃくった。

「そっか、いいんだな。おじさんが取ってあげなくて本当にいいんだな。」
「だったら、もう泣くな。頑張れ。泣いていると笑われるぞ。頑張れ。」

私がそう言うと、少年は少しだけ泣き声が小さくなって、私のほうをチラッと横目で見て、「分かったよ、おじさん」と言っているような感じでウン、ウンと首を縦に振りながら歩いて行った。

10mほど歩いて、少年がこちらのほうを振り返った。

私は、少し大きな声で、
「頑張れ。頑張れ。負けるな。頑張れ。」

少年は、また、ウンウンと首を振って歩いて行ったが、
しばらく様子を見守っていると、そこから少し進んだ辺りから、少年の泣きじゃくり声が、また聞こえてきた。
「ウウォーン、ウウォーン」とまるで犬の遠吠えのよう、後ろ姿の少年の顔は、また空のほうを向いていた。

近くには小さな小川が流れている。
ちょうど、子どもが飛び出してきた辺りだ。
川に落としてしまったカバーを取ろうとして、草むらの中に入っていたのが容易に想像できた。

川沿いを少し歩いてみて、少年のカバーを探してみた。
もしも、見つかったら届けてやろう。
片腕のない特徴を小学校に話せば、きっと特定できるだろうと思ったからだ。
でも、見つからなかった。

川の水は決して少ないほうではない。
少年自身が川に落ちなくて本当に良かった、と思ったと同時に、落としてしまったカバーを拾い上げようと必死になっていた少年の姿が目に浮かんできた。
両手さえあれば、右手でどこかにつかまり、左手を伸ばして、もしかしたら、カバーを拾うことができたかもしれない!?
どれほど悔しかったことだろう。
顔を空に向けての大泣きは、もしかしたら、そういうことだったのかなぁ!?

少年の悔しい気持ちを想像したら、、、自然に涙があふれてきた。
「頑張れ! 泣くな!」などと言っておきながら、俺のほうが泣けてきてしまった。

俺と言う男はまだまだ青い。
ダメだ。


災害時の 障がい者のニーズ

笠井です。
これは、中越大震災の避難所での話。
避難所での館内連絡は、放送による音声連絡によってのみ行われていました。
当然、音声連絡は聴覚障がい者には伝わりません。
どうも人々が入口のほうに向かっているようだなー?
何かしているんだろうか?
そう思って、その方向へ行ってみると、パンが配られていて、自分が行った時には、もう残っていなかった。と、いうようなことが頻繁にあったそうです。
ろうあ者協会は行政に、避難所内でそういうことがあったということを伝えて、音声だけでなく文字でも伝達してくれるように要望した。ところが、それに対応して、行政が取った行動は、
「この避難所内で聴覚障がいの方がいたら、文字伝達をしますので申し出てください」と館内放送することだったと言います。
笑い話のようですね。でも、それが現実。
多くの市民が避難生活している状況で、行政としては、より多くの市民を救援するために、画一的な支援によって、効率を上げて大勢の人たちを救援しようとするはず。それは致し方ないことだ。
しかし、そのような画一的な支援では、
障がい者の個別性、多様性の高いニーズは当然満たされず、支援の網から漏れてはみ出していく。
大混乱の中、突如大量に湧いて出てきた市民からのニーズを、できるだけ多くさばこうとするのが精いっぱい。
個別性の高いニーズは後回し、、、障がい者への支援はどんどん後回しにされるのだ。
ここには、大きな問題がある。しかし、行政職員を責めることもできない。
彼らとて、一生懸命にやっていたはずだ。
大災害など経験のない彼らに、地震によって突如、市民から大量のニーズが降ってきた。
その中から、障がい者の個別性の高いニーズだけ取り出して特別扱いしろ、、、そんな要求を、どの程度理解してもらえるのか?!…難しいだろう。
障がい者側も、行政側に要求するばかりでなく、まず、自分たちが相互に助け合う努力をして、その上で、足りない支援を行政に求める。そういう姿勢が必要だと思う。
「自分たち…障害者同士が無理ならば、障害者と支援者が、相互に助け合う仕組みを作ることが大事なのではないでしょうか?

この度の大雪で雪害ボランティアセンターが立ちあがった際も、その案内の仕方に、障害者を意識した工夫が加えられることはなかった。

普段から障害者問題に深い関心を寄せているつもりだった私でさえ、ボラセン立ち上げというドタバタ劇の中で、そこまで頭が回らなかったというのが正直なところだった。

おそらく、おそらくボラセン運営の中心的役割を担っておられた社協の皆さんも同様だっただろう。

「災害時における障害者への対応」に大きな課題が存在することを、今回の災害で再認識した。


「自閉症と異文化体験」Vol.2

~Vol.1より
 どうやら弟は、遥か彼方を走っている走っている電車の音や振動を敏感に感じ取り、電車が来ることや種類まで当てているようだ。
 また、音に関しては次のようなこともあった。
 弟は、小学校4年生からピアノを習っている。その練習中のことである。右手と左手の全く違うリズムの、比較的難しい曲を弾きながら、口では弾いているいる曲とは全く別の歌を歌っていた。弾いている曲を口ずさみながら、ピアノを弾くことはよくあることだと思う。しかし、弟の場合はテンポも曲調も違う歌を歌っていた。これにはピアノの先生も
「今までたくさんの人を教えてきたが、こんな人は見たことがない。」
と驚いていた。
 こんなことができるのは、弟の脳の中で、ピアノを弾くことと歌うことが、全く別のものとして捉えられているからである。脳の使い方が障がいのない人と違うのである。
 また弟は、気圧や天気の変化も敏感に感じ取る。
 ある冬の日のことである。その日は、雲一つない快晴で、暖かい日であった。朝の段階では弟も落ち着いており、普通に学校に行った。しかし、午後になると次第に落ち着きがなくなり、手に負えなくなってしまった。学校の先生もおかしいと思い、早退させることにした。母が車で迎えに行くと、弟は車を見つけるや否や、道路に飛び出して車に乗り込み、家に着くと毛布に包まり、ジッとして動かなくなってしまった。変だなと思っていると、さっきまでのいい天気が嘘のように空が曇り始め、一気に気温が下がり、嵐になった。
 この時だけでなく、嵐や雷の前には弟は落ち着きがなくなる。これは、気圧の変化を敏感に感じ取り、不安や恐怖を感じるからである。普通では感じ取れないようなわずかな変化も、弟は感じ取るのである。
 また、微弱な地震の電磁波も~    Vol.3へ続く


「自閉症と異文化体験」Vol.1

第二回高校生小論文コンテスト 吉増剛造賞 最優秀賞を受賞した鈴木里奈さん。
鈴木さんは長岡高校1年在学中の女子生徒。
昨日開催したフォーラムに、その鈴木さんから参加していただき、作文を発表してもらった。
とても素晴らしい発表でしたので、本ブログでもご紹介させていただきます。
もちろん、彼女のお母さんからご了解をいただいております。
「自閉症と異文化体験」
 僕が風で風が僕で、僕と風は一つになった…これは、自閉症の弟が感じている世界である。私の弟は、自閉症・重度の知的障害・脳の委縮など多くの障害を持っている。そんな弟と一緒に生活していると、常識では考えられない多くの体験をする。
 自閉症の人には、音や光、振動に敏感であったり、記憶の量が極端に多かったりする人がいる。これは自閉症の特徴の一つであり、弟の場合は音や振動、気圧の変化に敏感である。
 私・弟・母の三人で散歩に行った日のことである。線路沿いを歩いていると弟が、
「通勤電車が来るよ。緑色の通勤電車が来るよ。」
と言い出した、しかし、踏切の警報機は鳴っておらず、手元に電車の時刻表があるわけでもない。まさかと思って踏切の前で待っていると、五分もしないうちに踏切の警報器が鳴り電車が来た。しかもそれは、緑色の通勤電車。その時は、すごいとは思ったが、ただの偶然だと思った。しかし、さらに線路沿いを歩いて行くと今度は、
「貨物列車が来るよ。」
と言い出した。この時も踏切の警報機は鳴っていなかった。連続して当たることはないと思いながら、踏切の前で待っていると、またしても電車が来た。それは貨物列車だった。母の話によると、弟が電車の種類を当てることはよくあるという。
 どうやら弟は、遥か彼方を走っている電車の音や振動を敏感に感じ取り、電車が来ることを種類まで当てているようだ。~~~~ Vol.2 へ続く
彼女の弟さんの特殊能力の一端をご紹介します。
↓↓↓
多面体画像
いったい何面体なのだろう?
数えるのも一苦労なほどの多面体を、見事に折り上げている。
二つの直角二等辺三角形が一つの直角二等辺三角形の面となり、その面が見事な凹凸の多面体を構成している。
三色の紙で折っているようだが、まさか三枚だけで作っている訳ではあるまい。
いや、そうなのかも!?…どうやったら、こんなことができるのか、私には到底無理だ。


服役囚の4分の1が障害者

表題をお読みになった皆さん、どんなことを感じていますか?
先日は、親から虐待を受けて子どもたちの行き場所の一つ、児童養護施設の利用者の4分の1が障害者だという事実を皆さんにご紹介しました。
そして、本日は、表題の記事をご紹介させていただきます。
↓↓↓
秘書給与の詐取で実刑判決を受けた元衆議院議員の山本譲司氏は、知的障害を持つ服役囚の介護が服役中の仕事だった。国会議員から一気に受刑者へと転落した時点で、ある程度の覚悟はできていたとは言え、そこには「服役囚の4人に1人が知的障害者」という驚くべき現実が山本氏を待っていた。
約1年半の刑期を終え出所してきた山本氏は、福祉の仕事に携わりながら、知的障害者の犯罪の実態を調べ始めた。そしてそれを一冊の本にまとめたものが、近著「累犯障害者」だった。その中で山本氏は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。犯罪といってもほとんどが「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食、自転車の盗難などだ。そしてそうした犯罪を犯して繰り返し刑務所に戻ってくる障害者たちの多くが、刑務所を事実上「終の棲家」としてしまっているのが実態だという。
おおよそどこの国にも人口の2~3%程度は知的障害者が存在するとされる。日本の場合その数は300万人程度と推察されるが、その中で障害者に認定された際に渡される療育手帳を取得し公的福祉サービスを受けている人の数は46万人に過ぎない。残る障害者の多くが、福祉の網から漏れたまま、刑務所と社会の間を行き来する生活を送っているということになる。
現実的には、知的障害者の多くにとって公的福祉サービスは存在しないに等しいという。厚生養護施設は3ヶ月程度しか障害者を受け入れてくれない。身寄りのない障害者は3ヶ月後には道に放り出される。そして、その多くが、ホームレスのような生活をする中で「しょんべん」犯罪を犯し服役してくる。その後は、同じことの繰り返しとなる。
特に近年の高齢化によって、身寄りの無い障害者の数が増えていることも、この問題を更に深刻化させている。山本氏はこうした問題の背後には福祉と法務行政の両方の問題があると指摘する。現在の日本では、一見健常者と見分けがつかない知的障害者に対する福祉が明らかに不十分であると同時に、知的障害者が犯罪を犯すと、自らを弁護する能力を持たないため、警察や検察に言われるがままに供述調書に署名するケースがほとんどだという……。


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