笠井です。
これは、中越大震災の避難所での話。
避難所での館内連絡は、放送による音声連絡によってのみ行われていました。
当然、音声連絡は聴覚障がい者には伝わりません。
どうも人々が入口のほうに向かっているようだなー?
何かしているんだろうか?
そう思って、その方向へ行ってみると、パンが配られていて、自分が行った時には、もう残っていなかった。と、いうようなことが頻繁にあったそうです。
ろうあ者協会は行政に、避難所内でそういうことがあったということを伝えて、音声だけでなく文字でも伝達してくれるように要望した。ところが、それに対応して、行政が取った行動は、
「この避難所内で聴覚障がいの方がいたら、文字伝達をしますので申し出てください」と館内放送することだったと言います。
笑い話のようですね。でも、それが現実。
多くの市民が避難生活している状況で、行政としては、より多くの市民を救援するために、画一的な支援によって、効率を上げて大勢の人たちを救援しようとするはず。それは致し方ないことだ。
しかし、そのような画一的な支援では、
障がい者の個別性、多様性の高いニーズは当然満たされず、支援の網から漏れてはみ出していく。
大混乱の中、突如大量に湧いて出てきた市民からのニーズを、できるだけ多くさばこうとするのが精いっぱい。
個別性の高いニーズは後回し、、、障がい者への支援はどんどん後回しにされるのだ。
ここには、大きな問題がある。しかし、行政職員を責めることもできない。
彼らとて、一生懸命にやっていたはずだ。
大災害など経験のない彼らに、地震によって突如、市民から大量のニーズが降ってきた。
その中から、障がい者の個別性の高いニーズだけ取り出して特別扱いしろ、、、そんな要求を、どの程度理解してもらえるのか?!…難しいだろう。
障がい者側も、行政側に要求するばかりでなく、まず、自分たちが相互に助け合う努力をして、その上で、足りない支援を行政に求める。そういう姿勢が必要だと思う。
「自分たち…障害者同士が無理ならば、障害者と支援者が、相互に助け合う仕組みを作ることが大事なのではないでしょうか?
この度の大雪で雪害ボランティアセンターが立ちあがった際も、その案内の仕方に、障害者を意識した工夫が加えられることはなかった。
普段から障害者問題に深い関心を寄せているつもりだった私でさえ、ボラセン立ち上げというドタバタ劇の中で、そこまで頭が回らなかったというのが正直なところだった。
おそらく、おそらくボラセン運営の中心的役割を担っておられた社協の皆さんも同様だっただろう。
「災害時における障害者への対応」に大きな課題が存在することを、今回の災害で再認識した。