【 四(し) 面(めん) 楚(そ) 歌(か) 】……史(し)記(き)
(訳…周囲が、みな敵に囲まれて、孤立無援の状態)
~ これはよく知られている四字熟語で、【四面楚歌(しめんそか)】とはと、問われて答えられない人はいないと思います。では、周囲がみな敵で孤立無援の様子を何故、【四面楚歌(しめんそか)】と言うのか。?
これが、世に言う、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の『楚漢(そかん)の戦い』から生まれた故事です。
この戦いはB.C200年から5年に及ぶ戦いで、いよいよ最後の決着の時が来た時に、追い詰められた項羽は、垓下(がいか)の城に立てこもりました。その夜、どこからともなく項羽(こうう)の故郷(ふるさと)・楚(そ)の歌が聞こえてきたのです。それも東西南北の四面(よんめん)から聞こえて来ました。
これを聞いた項羽は「漢(かん)は既に楚(そ)を降したのか。敵軍の中に、なんと楚の国の人が多いことか」と嘆きました。
四面(よんめん)がみな楚歌(そか)の歌になった、というところから【四面楚歌(しめんそか)】となりました。
しかしこれは漢の罠だったのです。漢の軍師・張(ちょう)良(りょう)が漢の兵に楚の歌をうたわせた策だったのです。
【垓下(がいか)の歌】…項羽(こうう) (項羽(こうう)は、ここから、烏(う)江(こう)まで敗走する)
【力(ちから)は山(やま)を抜(ぬ)き 気(き)は世(よ)を蓋(おお)う 時(とき)に利(り)あらず 騅(すい)逝(ゆ)かず 騅(すい)逝(ゆ)かざる 奈可(いかん)すべき 虞(ぐ)や虞(ぐ)や 若(なんじ)を奈何(いかん)せん】
歌(うた)うこと数闋(すうけつ)、美人之(びじんこれ)に和(わ)す。項(こう)王(おう)、泣(なみ)だ数行(すうぎょう)下(くだ)る。左右(さゆう)皆泣(みなな)き、能(よ)く仰(あお)ぎ見(み)るもの莫(な)し。
(訳…我が力は山をも引き抜き、気は天下をおおう程である。だが、時勢は我れに味方せず愛馬の騅も進まない。騅よ、お前が進まなければ、どうすればよいのだ。そして、虞よ、虞よ、お前をどうすればよいのだ。歌うこと数回、虞美人も声を合わせて歌った。
項王の涙が幾筋か流れ落ちた。近臣たちも皆泣いて、項王を仰ぎ見る者はいなかった。)~