高木です、
先日仲間と飲んでいて面白い話が出ました。
お金にまつわる話で政府紙幣と兌換紙幣の違いを知っている?
と投げかけられ皆「う~~ん」と・・・
以下、ウイキペディアより
紙幣(しへい)とは、広義には、公的権力(主に国家)により通貨として強制通用することが認められている紙片である。政府の発行する政府紙幣と銀行(中央銀行など)の発行する銀行券があるが、狭義には前者のみを指す。特定地域だけで通用する地域紙幣(地域通貨)が発行されることもある。現在の多くの国では中央銀行の発行する銀行券が一般的であるが、シンガポールなどでは政府紙幣を発行している場合がある。現在多くの先進国の中央銀行が完全な国家機関ではなく、民間企業の投資などで出来ていることから、中央銀行のありかたを疑問視する考え方が最近世界中で起きている。そのため代替案としての政府紙幣、地域通貨なども再び脚光を浴びはじめている。
現在の日本では、政府紙幣は存在しないが、日本銀行が開業するまでは政府紙幣が発行されたほか、大正時代や昭和時代には小額銀貨の代用としての銭単位の低額の政府紙幣が発行されたこともある。法令用語としての「紙幣」は専ら政府紙幣を指し、銀行券は含まないが、日常用語としては、日本銀行券を指して紙幣と呼ぶ。
以下、特に断りのない限り「紙幣」とは狭義の「政府紙幣」ではなく、広義の紙幣を意味するものとする。
兌換紙幣(お札のちょうど真ん中あたりに此券引き換えに金貨拾円と・・・)とあります、
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インターネットより
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≪兌換紙幣(だかんしへい)≫
日本の貨幣制度は、明治時代に入って大きな変革期を迎えました。金属貨幣にかわって紙幣が通貨の主役となったのです。
◆太政官札の発行
1868(明治元)年、明治政府は太政官札(だじょうかんさつ)を発行しました。
太政官札は、政府が発行した初めての紙幣です。江戸時代には、各藩が藩札(はんさつ)という形で紙幣を発行していたのですが、幕府が発行した藩札はなく、その流通は地方に限定されていました。
◆金本位制の採用と円の制定
1871(明治4)年、明治政府は新貨条例(しんかじょうれい)を公布しました。これにより、金本位制が採用されましたが、金貨不足から銀貨の利用が続きました。
金本位制とは、金を本位貨幣(通貨価値の基準)とする制度です。中央銀行が、発行した紙幣と同額の金を常時保管して、兌換(だかん:金と紙幣とを引き換えること)を保証するというものです。このように、発行者の信用で、同額の金貨や銀貨に交換することを約束した紙幣のことを兌換紙幣といいます。
※ちなみに、銀を本位貨幣とする制度を銀本位制(ぎんほんいせい)と呼んでいます。
また、通貨単位として「円(えん)」を制定し、1円を金1.5gと定めました。1円より小さな単位には「銭(せん)」、「厘(りん)」を使い、1円=100銭、1銭=10厘と取り決めました。
※1953(昭和28)年に通貨単位の「銭」「厘」は廃止されました。しかし、債券や為替取引の世界では、1円未満の表記に引き続き「銭」という単位を使っています。
◆兌換紙幣の発行
1882(明治15)年には日本銀行が設立され、1884(明治17)年には日本銀行兌換銀券の発行を定める兌換銀行券条例(だかんぎんこうけんじょうれい)が公布されました。
1885(明治18)年には、日本銀行が日本銀行兌換銀券を発行しました。これは、政府が同額の銀貨と交換することを保証した兌換紙幣です。
◆金本位制の確定
1897(明治30)年になると、明治政府は、金のみを本位貨幣(通貨価値の基準)とする貨幣法(かへいほう)を公布し、金本位制が確立しました。また、1円を金0.75gと定めました。
1899(明治32)年には、日本銀行が日本銀行兌換券を発行しました。これは、政府が同額の金貨と交換することを保証した兌換紙幣です。
その後、1931(昭和6)年12月の金貨兌換停止により、金本位制は終幕を迎えました。