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悲しすぎる…

taniiです

10/19(月) 午前9時頃、宮内の蔦屋へ、前日借りたDVDを返却しに行き、駐車し、入口を見ると、大柄な男が座り込み自動販売機にもたれていた。

若い男の子が外で座っている姿は珍しくないので、気にもせず、返却BOXに近づいて男を見ると、普通の表情ではなかった。

30歳位・大柄・オレンヂ色CAP・短パン・リュックを背負い、買い物袋を持ち、眼はうつろだった。

自販機にもたれかかった状態から、ケガかな? 体調不良かな? と思い「どうしたの?大丈夫?」と数回問い掛けてみたが、反応無し。 体には、出血等外傷は見受けられない。
更に「誰か待ってるの?一人なの?体の具合が悪いの?」と、声を掛けても無言。
「耳が聴こえないのかな?」と思い、障がい者は迷子札を付けているはずと、体を見回すとリュックに紐があり、リュックと背中の間にカードらしき物が見えた。

驚かさないように優しく声を掛けながら紐を引っ張ると、葉書大の「手書き迷子札」が出てきた。

小千谷の住所・電話番号・名前が記されていたので、「◯◯君」と数回声を掛けたが、全く反応無し。

記載されていた番号に電話すると、お婆さんが出て「昨夜、長岡へ父親と一緒に行ったが行方不明になり、父親だけ帰って来た」と淡々と話す口調に、心配している様子は感じられず、
私が「父親か親戚の方で車で迎えに来る事は出来ないのか?」と聞くと、「出来ない」の返事が返ってきた。

電話の最中に◯◯君は道路方向に走りだそうとするので、二次事故になってはマズイと押さえ付け、「迎えに来れないのなら、通報し、警察に自宅まで送り届けてもらうべく手配しますよ」と言うと、「そうして下さい、お願いします」と言った。
「警察」の言葉に反応し、逃げ出そうとする◯◯君を押さえながら、本署に通報、状況を伝えパトカーの手配を要請した。
耳が聞こえないと思っていたが、聞こえていたのか・・・

逃げようとする◯◯君を押さえ、なだめている私の前を、沢山の人達が奇異の眼差しを送りながら通り過ぎて行き、私と視線が合うと、急にソッポを向く、皆、関わりあいたくないのだろう。

◯◯君の人生って何だろう・・本人の苦悩・・親兄弟の苦悩・・親戚・・絆・・社会的差別・・沢山の情景がよぎる・・自分で選べない人生・・・障がいのある子供が行方不明なっても、届けも出さず帰宅した父親・・私と電話で話をした「お婆さん」は、事故・病気の心配すらしなかった・・

哀し過ぎる・・・

20分程してパトカー到着、警察官に状況説明し、保護していただいたが、気が重たかった。

翌日午前中に現場臨場警察官のNさんから電話があり、お礼の言葉と自宅まで送り届けたと丁寧な報告を受けた。
警察官の常識ある対応は初めてで、今年8月の深夜、徘徊老人保護をした時には、
その後の連絡も無く、気になっていたし、交通事故の救助等でも、何も連絡は無かった。
警察は救助者に報告義務は無いと思うのだが、救助した側は、ケガの度合いやその後大事にいたらなかったか? とても気になっている。

警察からの連絡後、◯◯君の父親から電話があり、「ありがとうございました」と言っていたが
謝意は全く感じられなかった・・・・・・

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コメント (2)

りす:

悲しすぎる記事を読み情けなくなりました。
人間ってゆう生き物に改めて憤りを感じました。

tanii:

りすさん、コメントありがとうございます。

私もパトカー到着までの20分間に、彼に不安感を与えないように

手を握りながら話掛け、ブログに書き込めない感情も湧き、

障がい者のおかれている立場を再認識させられました。

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2009年10月22日 12:33に投稿されたエントリーのページです。

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