笠井です。
さて、先月の市政勉強会の報告第2弾・「天地人と与板のまちづくり~その1」
与板の大平議員を講師に招いて行われた市政勉強会についてです。
1,与板と直江兼続とのかかわりは?
●直江景綱と本与板城 (兼続の妻となったお船の父親の居城・お船生誕の地)
直江兼続は22歳から39歳までの17年間を与板城主として過ごした。
お船は兼続より3歳年上の姉さん女房。
先夫「信綱」の不慮の死→直江家断絶の危機→樋口与六から「直江兼続」の誕生。
お船は、当時の女性としては珍しくほうぼうへ旅をしていたらしい。
夫 兼続亡き後、80歳まで生き、米沢の若き藩主定勝を支え、国政にも関与した。
一家臣の妻であるお船に対して3千石が与えられ、家来衆まで持っていた。
当時の米沢藩は30万石。
一家臣の妻でしかないお船に対して全体の1%分が与えられていたことになる訳で、これは極めて異例であり、お船が藩内の実力者であったことを裏付けるものである。
●与板では「直江兼続」は有名だったのか?
郷土史家 小坂覚氏が「直江山城の守兼続」冊子を発行(昭和50年頃)
与板の銘菓「愛の前立(まえだて)」は、与板町の大石菓子店さんが30年前に小坂氏と知り合い命名してもらったもの。
資料館前の銅像…歴史を愛する町民有志が建立(昭和60年頃)。
→何も資料が残っていない与板でも銅像が建っていてヨカッタ!
●「好きらてよいた」が掲げた、まちづくりのキャッチフレーズは?
与板の魅力は何なのだろうか?
「城下町」「雁木通り」「静かな落ち着いた佇まい」「緑の里山と川」
「寺が多い」(川中島の合戦を避け謙信景勝の保護を頼って移った真宗寺院)
直江の菩提寺である徳昌寺は曹洞宗だが、与板にあるその他の寺はほとんどが真宗。
景綱兼続が育てた「打ち刃物」伝統工芸産業 良寛の父親のふるさと 信濃川・黒川「河湊」…物資と文化が行き交う交流点→豪商の誕生
兼続を偲ぶ資料や具体物がほとんど残っていない中、与板のチャームポイントは?
↓
「兼続とお船 愛を育んだ里 よいた」 これだ!
与板城主として過ごすのはほんの17年間だけだが、しかし、22歳から39歳までは一番気力体力充実の輝いていたとき!