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プリティ長嶋さんと…一日目その1

今でこそあまりテレビに登場しなくなったが、少し前まではMr.ジャイアンツ長嶋茂雄のモノマネで頻繁に登場していたプリティ長嶋さん。
彼は、実は、千葉県市川市の2007年市議会議員選挙でトップ当選を果たしていたのである。

ある日、私に一本の電話が…。
電話の主は、私の知り合いで災害オタクの桑野さん(彼に言わせると、私も災害オタクなのだそうですが)。
電話の内容は、
「Mixiで知り合ったプリティ長嶋さんが、新潟に視察に来たいって言ってるんだけれど、力を貸してください。」というもの。
お調子者の私はいつものように二つ返事で「いいよー」と答え、電話を切った後にすぐに長岡市議の桑原 望議員に電話を掛け、用件を丸投げしてしまいました。

そういう訳で、7月27日・28日の二日間、プリティ長嶋さん、災害オタクの桑野さん、桑原市議、そして私の4名による視察珍道中の始まり、始まりー。


↑この写真は、小千谷市総合体育館の応接室で、元小千谷市長 関 広一さんから災害時のお話を聞かせてもらっているところ。

…………
発災直後は消防車も救急車も通れない。
どの道が通れて、どの道が通れないか、災害本部で把握することができなかった。
そういう中で、瓦礫の下敷きになっている人やケガしている人を、いったい誰が助けるのか?
隣近所の人しかいないのだ。

町内会→自主防災会
ここの部分をどう強化するかによって、いざという時、助けられる命が違う。
消防団と自主防災会とどうリンクさせていくかが、今後の大きな課題。

各地域の皆さんが自主的に作った避難所が、市が指定したものよりたくさんできた。

そのでき方がどうだったかということを、現在のところ、設立したNPO(NPO法人防災サポートおぢや)で検証していこうとしている。

市長の仕事は、常日頃、金、金、、、日常的に金に関する問題ばかりを考えていた。
災害時といえど、まず金のことが頭にあった。
しかし、あれだけの災害になると、トップが金のことをあまり考えすぎたり、そのことを前面に出したりするのは良くなかった、と反省している。
公には金のことに関しては言わなかったつもりで、とにかく「人命に関わることは第一にやりなさい」というふうに言ってきたつもりだが、現実にはなかなかうまくいかなった。

市民から要求が山ほど。
市民の要求は数限りなく。

第一義的には人命。
第二:二次災害を起こさない。
第三:道路に関わること。

「金のことは心配するな」ともっとはっきり言えば、職員も動きやすかったのでは!?と今になって反省している。

激甚に指定されるかどうかを当時は気にしていた。

直後:対策本部を早く作らなくてはいけない。県との連絡をどうするか?

激甚災害になった場合とそうでない場合の違いを勉強していなかった。直後の本部会議の時点より、その後、状況が把握できると認識の甘さに気が付かされた。
経費のことを考えたが、本部会議で経費のことについて、話し合う余裕はなかった。
そして、自分も、お金のことは心配するなとも言わなかった。反省点。

山古志、長岡、小千谷、共同で中央陳情。

要求:特別立法
阪神淡路の場合は、特別立法が10何本できた。原則1年。
10月末におきて、3月31日まで、そんなことできるわけがない。
時間的に通常の大きな工事のスパンと考えた場合でも、時間が掛かるのに、できるわけがない。
1050カ所:市道

国はその年の内に、お金を決めたい。
現場回りをして設計書を作って、いくらと決めたいという腹。
特別立法で、、たとえば二年延ばすとか
片付けは1ヶ月でやりなさい。→できるわけがない。

森 長岡市長や泉田知事も、国に対して、かなりいろいろ言ったが、結局のところあまり効果はなかった。
国からの回答は、「特別立法については消極的」「大丈夫です。現行法の拡大解釈でやりますから…」
というものだった。

国は、地方の実態を知らなさすぎる。
確かに、いろいろやってはもらった。しかし、
災害→査定→額がきまるが、その年の内にそらが実行できなければ「繰り越し」となる。
400件以上の繰り越し手続き…これはとても大変な作業だった。

大臣と市長の間では「やります」という話になっているのに、
役人同士になると、話が違ってくる。
だから、工事は3年間でやらざるをえなかった。
限られた期間で工事を終了させるために、県外の割高な労働力を使わざるを得なかった。
結果、人夫賃があがり、砂利が上がり…県内の建設業者は忙しい思いばかり…上手く回したところでもトントン。ほとんどが赤字仕事ばかりだったのではないだろうか!?

災害復旧の経済特需は建築業界だけ。
もともとダメになりそうなところが救われた形だが、これからが大変になってくる。

災害時に全壊+大規模半壊を合計して1000軒だったが、本年3月時点で新築は1250軒。
この際だということで、一部損壊も立て直しのだろう。
建築業界はこれからが大変になるだろう。
…………
以上 関 元小千谷市長の話でした。


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コメント (1)

ALBY:

私が“災害オタク?”
あなたでしょ!!

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2008年08月02日 04:53に投稿されたエントリーのページです。

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