水害のニュースを見るとかなりの被害が出ている。早く救助に行かなければの思いと、装備の選択ミスは許されないの思いがよぎり、自作防災倉庫に向かった。防災倉庫とは、1995年に田舎暮らしを始めたのであるが、若い頃から、ハンター・ダイバー・渓流釣り・山歩き等自然を相手に過ごし、ここ10年位感じていた事は、何かがおかしい!大きな自然災害(地震等)があるのではとの思いから、2トントラックのアルミコンテナを購入し、庭に設置、内部に棚やハンガーを自作取り付け、今まで使って来たキャンプ道具一式・ザイル、ハーネス・長期保存可能飲料水・米、缶詰め、カンパン・ドッグフード・発電機・ガソリン等を備蓄していた。
そこから、ゴムボート・ウェットスーツ、アシヒレ、シュノーケル付きマスク・ザイル、カラビナ・ダイバーナイフ・ポリタンクに水・着替え一式・発煙筒・救急パック・ライフベスト等々を引っ張り出し、車に積み、ラジオのニュースを聞きながら三条に向かった。ところが、市内愛宕町から大渋滞で、全く動けない。三条警察に電話をするが、お掛け直し下さいとテープが答え、三条消防署もお掛け直し下さいとテープが答える。長岡警察暑は電話が通じたが、高速道・一般道共に三条方面は、見通したたずとの答えが帰って来た。姪に電話し、現状を伝え、何があっても必ず行くからと落ち着かせ、再度、携帯バッテリーを無駄にするなとアドバイスをした。・・困った・・打つ手がない。ダメ元と思い、新潟県警本部に電話し、ヘリコプターでの救助要請をした。が、受け付けはするが、あまりに災害が大きいので、確約は出来ないとの答えである。無理もない・・、日付が変わって、7月14日午前3時過ぎ、ゆっくりであるがバイパスが流れ始めた。中之島・見附の被害状況は、暗闇で全く見えず、先行車両に早く行け々と念じていた。・・胃が痛くなるような走行の後、目的地
の直江町の案内板が見え、交差点から近い場所に車を留めた。ここから戦場のような光景が始まった。