仕事だろうが、スポーツだろうが、そして市民活動だろうが、それを頑張り続けられるのは、
頑張ることが何らかの形で「自分のため」につながるからなんだと、私は考えています。
たとえば、
家族にいい思いをさせようと仕事を頑張ってお金を稼ぐのも素晴らしいことだし、
自分を向上させようとスポーツに励むのも素晴らしいことだ。
私の場合、こうしてNPO活動に頑張っていられるのは、「自分の子どもにとって、暮らしやすい地域社会を作るため」であって、たまたま障がいを持った子どもがいたためにそれを強く感じ、だから「福祉」に該当するような活動も行っている訳であります。
NPO発足時の定款にも「福祉」に関することが記載してあるので、NPO法上なんの問題もないのですが、
時折、あなたのNPOの活動分野は「安全」じゃなかったの?いつから「福祉」になったの?ミッションが違うじゃないの!?などと言われることがあります。
「安全」とか「福祉」とかいう分類をどこの誰が決めたのかは分かりませんが、
そこに当てはまっているかどうかなど、私にとってはどうでも良いことでありまして、
ただひたすら自分の子どもの将来のためにやっているだけであって、それがたまたま皆さんの子どもさんのためにもなっているらしいので、大勢の皆さんからご理解いただけているのだと考えています。
自分の子どものために行動を起こしたところ、そこでまた新たな問題点が分かり、だから今度はその問題点を解決しようと、また新たな行動を起こす。
行動を起こし、そこで得た気付きや感じた課題に向けて、また新たな行動を起こす。延々この繰り返し。
他人様から見れば、分野違い!?ミッション違い!?と思われるかもしれませんが、私としては最初から最後まで同一の目的に向けて一歩一歩ステップを踏んでいるだけなのであります。
そのように活動が継続できるのも「自分の子どものためだから」なのであります。
「所詮、何事も自分のためにしか頑張れない」
はっきり言ってしまうと、こういうことになるので誠に格好悪いのですが、
これが嘘いつわりのない本当のところであります。
ところが、世の中には、私のような格好悪い人間ばかりではないようです。
「自分のやることが自分や家族に何の関係もない」といったことに対しても一生懸命頑張り続けておられる人たちが実際に沢山いる。
気づきや興味から活動を立ち上げるのはたやすいことで、誰にでもできるでしょう。
しかし、それを持続するというのは容易なことではありません。
どのようにしてモチベーションを保っているのかよく分かりませんが、とにかく凄いことです。
こういう人たちがホントの社会活動家、市民活動家なのでしょう。
よほどの正義感とか使命感がなければできないことなのだと思います。
私には真似できません。一生かけても、その境地には辿りつけないと思います。
お恥ずかしい限りです。
先日のマラソンで、高橋尚子選手が「夢は必ず叶う」「皆に伝えたいメッセージがある」と言っておられた姿を拝見した時、
「この人すごいなー、そんなことのために頑張れるのか!?」と感心したものであります。
これも、私には真似できません。
だからなのでしょうか!?
彼女のその言葉は、私の心にはまったく響きませんでした。
「所詮、何事も自分のためにしか頑張れない」などとヌケヌケと言う私ですから、
彼女の言葉が響かなかった原因は、偏に私の心の貧しさにあるのでしょう。
しかし、それを認めた上で、もしもチャンスがあるのなら彼女に一言訊いてみたい。
「ホントに!?そんなことのために何年間も頑張れてこれたの?」
「ホントは何のためだったの?」
きっと、あきれられるかもしれませんね。