◆経済優先、医療は犠牲
――TPP交渉では日本の医療制度に大きな影響が出かねないことが指摘されています。
米国はこれまで日本に対して株式会社の医療参入や、混合診療(保険と自由診療併施可能)の全面解禁などを求めてきており、TPP交渉でこれらが協定に盛り込まれると、医療に市場原理が持ち込まれ、いずれは利益を求める自由診療が幅をきかし、お金のある人だけがいい医療を受けられるという仕組みになるのではないか―つまり、誰でも適正な医療が受けられるという国民皆保険制度が崩壊するとして日本医師会も反対を表明しています。
まずは米国と日本の医療の問題点についてお聞かせください。
実は米国にも日本のような医療制度にしたいと思っていた人は少なくなかったんです。 たとえば、平成4年、クリントン政権時代に大統領夫人のヒラリー現国務長官は、米国厚生長官のサリバン氏に日本の医療現場を視察させています。日本は低い乳幼児死亡率や健康寿命世界一で、WHO(世界保健機関)から世界一と折り紙付きの評価をされているが、どのように国民皆保険制度を維持しているか、非常に興味を持ったわけです。
しかし、サリバン長官は1週間もすると、これ以上見てもしようがないと帰ってしまった。視察先は、当時、立て替え前だった古い国立がんセンターでしたが、勤務医などのあまりにも過酷な労働状況やみすぼらしい診療システムを見て、『ボロボロに疲れきっている勤務医たち。医師の犠牲と我慢のうえに成り立っている制度は遠からず崩壊するだろう』とサリバン長官が喝破したからです。
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埼玉県済生会栗橋病院・本田宏院長補佐
◆医療費亡国論の罪
現在米国は、医療保険費が高く7人に1人が無保険者で、病気になったら自己破産してしまう。米国では病気が自己破産理由のトップ2に入っているほどです。だから、米国民主党は国民皆保険制度を導入しようとしてきたのですが、オバマ政権でもこの問題は共和党などの新自由主義的な考え方の人々の猛反対にあって頓挫しています。国民皆保険制度など共産主義的政策だ、と。
しかし一方で、WHOから世界一との折り紙を付けられるほどの日本の医療制度は、たとえてみれば世界中から賞賛される今回の大震災の被災者の粘り強いがんばりのような医療者の努力で支えられてきたわけです。実態は先進国最低の医師数、看護師数と医療費であり、しかも国民皆保険制度といいながら日本人の窓口自己負担はすでに先進国でトップクラス。イタリアの22.5%に次いで21.2%です。米国はお金がなければ保険に入れないという問題がありますが、それでも自己負担は12.6%と日本よりも低い。
野田首相はおそらくこういう事実を全く把握しないまま、国民皆保険制度を守る、と言っているのだと思います。国民皆保険制度は施行から今年でちょうど50年ですが、実は崩壊の危機にあり、その理由は米国などではなくて日本政府、とくに官僚と経済界などが主張してきた、医療にお金をかけると経済発展のじゃまになるという“医療費亡国論”にあります。これで医療費は抑制され続けてきました。
◆「勝者総取り」の論理
――そうした問題意識のうえで、どうTPPを考えるべきですか。
たとえば、米国の医療制度が大変だというのは「お金のない国民にとっては」という意味です。99%は大変ですが1%の人は日本よりずっとレベルが高い医療を受けられる。日本にもお金がたくさんあってわざわざ米国に治療に行く人がいますが、そういう人にとってはTPPに参加して市場原理が導入されれば、特定の医療機関にスーパードクターや最新の医療機器が集中してより良い医療が実現するかもしれない。
もちろん米国のような制度にすべきなどというつもりはまったくないし、それどころか私はTPPをこのような各論で議論してはいけないと思っています。
TPPの議論では歴史的認識も踏まえた総論的な情報分析がいちばん大事だと思います。その総論とは、民族的にも歴史的にも日米の背景が違うということではないか、ということです。私は医療を入り口にして米国を見てきたわけですが、米国は新天地に建国し、いわば先住民を追い出して開拓してできた国、ウィナーズ・テイクス・オール(勝者総取り)の国なのです。TPPはそれを太平洋地域に広げようという話ではないですか? 北米大陸だけでは不十分になったからもっと広げて他の国からも利益を得よう、と。
これは単に米国を非難しているのではありません。そのような歴史的背景が異なる民族、そして国家だ、という認識が交渉する上で不可欠ではないか、「甘い情報分析」という点では戦前と同じ轍を踏むことになりはしないか、ということです。逆にいえば昔から隣人がいるヨーロッパや日本を含むアジアでは、隣の家に向かって庭をこっちにも使わせろ、などということはできませんね。しかし、米国は環太平洋地域をかつての北米大陸のようにしたいと考えている。その違いをわれわれは忘れてはなりません。
◆砂漠の水は誰のものか?
――日本社会の価値観が問われる問題だということですね。
市場原理では到達できない価値観があります。たとえば、砂漠で自分の水のペットボトルに名前を書いていたら、現地の人たちにものすごく怒られたという話がある。砂漠では水はみんなで共有するもので誰かが私有すべきではない、と。先日、国王が来日したブータンの国民幸福度という考え方も同じでしょう。
しかし、米国流の原理では、自分で努力しなければ水は飲めないのが当然と自己責任が当たり前。けれど自分だけ、自分の会社だけ、そして自分の国だけ勝ち組になれたとしても、自分の子供や孫まで幸せになれる、その保障があるのでしょうか。 むしろ、今、水を分け与えた隣人に将来自分や子供が助けてもらう可能性もあるんだと考えるのが互助互恵社会、それが日本ではなかったでしょうか。私も医者としてお年寄りの患者さんを診察すると、この人は自分が小さいころ、自分が道路に飛び出すのを止めてくれたあのときのおじさんだったかも知れない、と思います。
今、高齢者にばかりお金を使うのはもったいないなどと言う人がいますが、“この路はいつか来た路、この路はいつか行く路”です。高齢者と若者を対立させるのはいかに心が貧しい議論か。お年寄りがいたからわれわれがいて、われわれがいるから若い人がいる。そのような互助互恵の社会を選択するのか、自己責任の社会か、今私たちに問われていると思います。
◆国民が政策を決めるべき
――医療の課題を解決するには何をすべきなのでしょうか。
日本は、先進国最低の医療費と医師数をせめて先進国平均並みに向上させることをめざすべきです。日本は高齢化社会で医療需要がいちばん大きいわけですし、憲法25条は「健康で文化的な最低限の生活」を権利として保障しているからです。 しかし、25条を遵守させる具体的な法律はないそうですね。だから憲法25条は努力目標になってしまっている。大企業が利益を得ながら派遣切りをする問題も同じことでしょう。
そこで遠回りのようですが憲法25条を守る基本法をつくることが必要になる。医療も患者の権利基本法制定が大事になってくる。中山間地域に住む人は医療の採算がとれないから医療の恩恵が受けられなくてもしかたがない、でなく患者の権利を考え他地域と連携してでも必要な所には医療施設を設置・維持するという社会にしていかなければなりません。
経済成長が必要だとばかり言われますが、医療や福祉は経済活動のベース、インフラです。今は、それを立て直すルールを私たち日本人自身で決めることが必要です。ところがTPP協定ではこれができないことになりかねない。断固として守ります、とだけ政治家が言えば済むほど世界は甘くないのです。
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