[ カテゴリー:子育て, 生活 ]

【連載】「自分も父も悪くなかった」 引きこもり乗り越えて心を結んだ父娘

不登校の苦い思い出を、笑って話せる親子に出会った。長阿彌幹生(ちょうあみみきお)さん(65)=福岡県筑紫野市=と次女晴子さん(36)=福岡市東区。二十数年前の娘らの不登校を機に生き方を大きく変えた父は、今や不登校に悩む親子をサポートする市民団体の代表。父に反発して全国を転々とした娘は、地元に戻って子ども支援のNPO法人スタッフとして働く。不登校。でもそれは2人の人生を何倍も豊かにしたのかもしれない…。

「私、父が大嫌いでした」。1月に福岡市であった、不登校に悩む保護者向けのセミナー。不登校経験者としてパネル討論に加わった晴子さんは、司会役の幹生さんを横目に、参加者を笑わせた。

晴子さんは中学入学後、1カ月ほどしか登校せず、引きこもった。なぜ行けないのか。自分でも分からずもがき続けた。「勉強ができず、厳しい父に認められない自分が嫌で不安だったと思う」と振り返る。晴子さんより先に、姉(37)も引きこもっていた。

幹生さんは当時、大手スーパーの商品企画担当として仕事に明け暮れていた。「学校は行くもの」と信じて疑わず、不登校をしかり無理に学校へ連れて行こうとした。それが子どもたちとの距離をさらに広げた。

悩んだ末、子育てを考える父親たちの語りの場「お父さん研究会」を立ち上げた。「結局ね、子どものためと言いながら自分の意見を押しつけてたことに気づいたんですよ」。研究会は今も続いている。

1998年、妻の病気もあって会社を辞めたのが大きな転機に。2年後「教育文化研究所」を立ち上げ、企業支援などの仕事をしながら、不登校の保護者援助に取り組むようになった。

晴子さんは21歳で定時制高校を卒業。地元から逃げるように県外の住み込みアルバイトを探し歩いた。沖縄、静岡、三重を転々とし、京都で4年ほど暮らした。友人と過去を語り合ううちに「父も祖父に育てられたように厳しく私を育ててくれたんだろう」と思えるようになった。不登校についても「学校に行くだけが絶対じゃない」と素直に受け止められた。「自分も父も悪くなかった」。そう気づくと、もう福岡に戻ろうと思った。31歳のころだった。

バラバラに格闘してきた2人がようやく、つながっていく。晴子さんは今、NPO法人スタッフとコールセンターの仕事を続けながら、幹生さんが代表の支援団体「不登校サポートネット」で相談員も務める。

晴子さんはこの夏、デンマークに短期留学する予定。「助け合う社会を目指している」と同国にほれ込む幹生さんに「洗脳された」という。あれほど嫌だった父。でも晴子さんの生き方は、その父に近づいてきているようにみえる。

=2015/03/16付 西日本新聞朝刊=

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00010006-nishinp-life

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