近年、子どもの教育により熱心に関わる親が増えていると言われています。少子化により、子ども一人当たりにかけられる金額や、時間も増えているというのも一つの理由のようです。
しかし親が子どもの勉強を教えると言っても、実際には限界があることでしょう。それでは、どうすればその限界を乗り越えることができるのでしょうか? 子どもの教育における、親の役割とは一体なんなのでしょうか?
そこで今回は、臨床心理学者として子どもの教育に関わっていた河合隼雄さんの著書『子どもと学校』からの引用を交えて、子どもの教育について親がすべきたった一つのことについてお伝えします。
■“教える”ことよりも“育つ”のを待つ
<心理臨床の場合、どうしても一般的な「教える」システムからはみ出した子どもに接することが多い。
最初の頃は、そのような子どもに対しても、「なすべきこと」を教えようと試みたりしたのだが、失敗を繰り返しているうちに、われわれは「教える」ことを焦るよりも、根本的には、「育つ」のを待つ方が、はるかに効果的であることを知らされたのであった。>
これは、近頃の行き過ぎた幼児教育などに対して言われることでもあるのですが、子どもは元来、自分で育つ力を持っており、“教育”とはそれを上手く引き出すこと、だと言います。
それとは反対に、親が子どもにどう接しているかというと、やはりどうしても“教える”ことに重点をおいてしまっていることが多いようです。
■“放任主義”を都合良く使うのはやめよう
<子どもが自ら「育つ」ことを強調するあまり、まったく放任しておけばよいと考えるのも誤りである。
このことは、特に家庭教育を考えるときに大切である。子どもが自然に育つことを期待して、自由放任にしている、という場合、多くの親は親としての責任を回避するための弁解として言っていることが多く、子どもたちは、それをすぐに見抜いてしまう。>
“放任主義”という言葉が、子どもにとっても、親にとっても都合良く使われていることが多いようです。本気で子どもを“見守る”という覚悟がなければ、子どもも自然とは育たない、ということですね。
■本当の意味で“見守る”ことはとても難しい
<子どもが育つのを本当に「見守る」ということは、何やかやと「教える」(結局は干渉していることなのだが)よりも、よほどエネルギーのいるものなのである。>
親だと、よかれと思って口を出してしまうことは多いのではないでしょうか。そこをグッと我慢して見守ることが重要です。現在は、この“見守る”ということができない親が多いそうです。
確かに、子どもの成長を見守るというのは大変かもしれませんが、そのほうが成果が大きいようです。
以上、 教育における親の“子どもへの関わり方”についてお伝えしましたが、いかがだったでしょうか。過干渉、あるいは放任主義。いずれも子どもの成長には、良い影響は与えないようです。
“見守る”ことの大切さ、そして“見守る”ということにはパワーがいる、ということを肝に命じて、子どもを見守ってください。きっと子どもは自分の個性を開花して、すばらしい大人になっていくでしょう。
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