ある日突然、言葉が出なくなり、家族にさえ思いが伝わらない。読む、書く、話す、聞く。言葉で支えられた何げない日常が崩れ、体はまひで動かなくなる。脳梗塞や交通事故など脳の損傷で発症する失語症。全国に30万~50万人いるとされる患者を支える言語聴覚士(ST)はリハビリで言葉を取り戻させていく。その一人、林耕司さん(63)は約40年間、「患者の胸の内側の感情を引き出す」治療を続けてきた。
■18年目の出会い
「かなと思うの」としか言えない女性患者がいた。40代で患ったくも膜下出血で重度の失語症になり、長野赤十字病院(長野市)に入院していた。名前や住所、何をどう聞かれても「かなと思うの」と答える。リハビリの訓練室に入ることも、その一言で拒否。「かなと思うの」にすべての感情を託していた。
どうアプローチすべきか悩んでいたとき、何げなくお茶会に誘うと思わぬ発見があった。女性は他の参加者に交じり、「かなと思うの」と言いながら楽しそうに笑顔を見せていた。
「そうか」とひざを打った。女性は自分の障害を強く自覚していた。それだけに「自分が試される形式的なリハビリではなく、誰かと気軽にコミュニケーションを楽しめる場が欲しかったのだ」と気づいた。
「女性が『かなと思う』にどんな思いを込めているのか想像をめぐらせ、気持ちの中に入り込む。患者さんは誰もが『胸の内側にある声を聞いてほしい』と願っている。相手の真意をくみ取るのは、相手が誰であっても同じこと」。STになって18年目の出会い。失語症者との向き合い方を改めて考えさせられた。
■娘の結婚式でスピーチもさせてもらえない…
失語症になることを林さんは「言葉が裂ける」と表現する。
脳梗塞を起こし、自分の名前が言えなくなる。初めて言えたのは、愛する妻の名前。ひらがなも読めず、「なんでこんなことができないのか」と情けなさに腹を立てる。娘の結婚式でスピーチもさせてもらえない。妻は「主人のことは何でも分かっていたはずなのに」と涙を流し途方に暮れる…。失語症者と家族の苦悩は計り知れない。
全身が震えるような思いで聞いた患者の声がある。
林さんが失語症者らとともに立ち上げた「長野失語症友の会」では、患者自らが定期的に演劇を披露している。平成15年のこと、脚本の基になる体験談として失語症の70代男性が寄せた一文は、心の叫びだった。
「命を救うような気持ちで自分の言葉に耳を傾けてほしい」
失語症者にとって言葉は自分の命ともいえるものだ。「患者の一つ一つの言葉や、言葉にならない言葉も耳を澄まし、体から出る言葉の源泉に漬かっていかなければ」と胸に刻んだ。
この男性は舞台にも立ち、自由にならない言葉をたどたどしく発し、障害をありのままにさらけ出した。「無残な姿だったかもしれないけど、できたことを誇りに思う」と語った。
患者が自分らしく生きられる居場所を作っていくことは、本人や家族の生きる力になる。STがそういう場を作ることは大切な役割だ。男性の言葉に、こうした思いを深めた。
■頼りにされる覚悟
林さんは現在、長野県上田市の専門学校でSTを目指す若者たちの育成に力を注ぐ。伝えたいのは、「授業で習う専門知識だけでなく、人間にとって言葉とは何かを考えてほしい」ということだ。
「おはよう」の一言を言うために何度も何度も練習を重ね、うまく言えたときはうれしさのあまり涙を流す。それが患者の姿だ。治療のやり方に答えはないが、患者との間に笑顔が生まれる信頼関係を築くことが欠かせない。本当に伝えたい言葉は、表面的ではなく、胸の内側から湧き上がるもの。だからこそ、志の高い若い生徒には、いつもこう話す。
「失語症者にとって言語障害は生涯続く。一生見守り、頼りにされる覚悟を持ってほしい。そして、言葉の力を信じられる言語聴覚士になってほしい」
■祖父の言葉「耕司はもう大丈夫」
林さんに自信と勇気を与え続けている言葉は、意外にも何の変哲もない一言だ。昭和54年3月、76歳で亡くなった祖父の健三さんから病床で贈られた「耕司はもう大丈夫」。ごく簡潔な言葉が、今も支えになっている。
言語聴覚士3年目で、仕事に手応えを感じ、自分がどう生きていくべきか方向性が定まった頃。妻が第1子となる長女の出産を控え、一家を支える父親になろうとしていた時期でもあった。
「言語聴覚士として自分はやっていけるんだという自信を与えてくれた。第三者から見て心配ないほど、自分が形づくられていたのかもしれない」
同時に、相手にかける言葉もシンプルでいいんだと思えた。飾った言葉でなくても、心に響く言葉はある。「言葉って不思議だと思う。祖父から自然に出てきた一言でこれほど励まされた。だから自分も、患者さんに勇気を与えられるような言葉をかけていきたい」 (岡野祐己)
■林 耕司(はやし・こうじ) 昭和25年、津市生まれ。慶応大在籍中、障害者支援のボランティアサークルに入ったことをきっかけに福祉の道を志す。山梨県の病院で失語症者の治療を担当後、長野赤十字病院の言語聴覚課長などを歴任。昨年4月から長野医療衛生専門学校で言語聴覚士を養成する授業を担当。「『いのちの言葉』響かせて」(筒井書房)などの著書がある。長野市在住。
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