道徳教育の充実策を検討してきた文部科学省の有識者会議が2日、現在は正式教科ではない小中学校の「道徳の時間」について、教科への格上げを求める最終報告書案をまとめた。国語や理科などと同じ教科になることで、道徳にも民間会社が作成する検定教科書が導入され、成績も記述式で付けられるようになる見通しだ。道徳教科化の是非について、武蔵野大教育学部の貝塚茂樹教授と、共栄大教育学部長の藤田英典教授に見解を聞いた。(溝上健良)
■貝塚茂樹氏「質の向上が期待できる」
--道徳が教科化される見通しだ
「戦前は修身科という教科で道徳教育が行われてきたが戦後、修身科へのアレルギーもあり、道徳教育は空白の時代があった。昭和33年に『道徳の時間』が設置されたが、教科ではないので検定教科書もなく、専門の先生もおらず、子供の評価もされていない。道徳の授業が行われずに運動会の練習や学級活動などに転用される例も多く、形骸化が問題となっていた。教科化は待ったなしの状況だ」
--教科化で何が変わるか
「検定教科書が導入されて最低限度の教材が提示されることになり、現場の先生にとっては負担の軽減になるはずだ。そして教科書を基準に各先生が創意工夫していけばいいわけで、他の教科と同じになる。なぜ道徳に教科書ができることが問題視されるのか、私には理解しがたい。別に国家への忠誠を教え込むといったこともなく、憲法や教育基本法の趣旨にのっとった教育が行われるはずで、何かイメージ先行の議論が行われているように感じる」
--道徳では評価が難しいのでは
「子供たちの道徳的な関心・意欲・態度といった努力の過程を教師が評価することになる。クラス全員を記述式で評価するのは難しいといわれるが、教師である以上、子供の心のありように向き合い評価すべきだ。現に通知表では『行動の記録』として評価が行われている。評価することは逆に教師の指導法の改善にもつながる」
--道徳は学級担任が教えるべきか
「小学校では一番、日常的に子供と接している担任が指導すべきだろう。中学校については道徳を教科にしている諸外国の例をみると、専任の教師が教えているところが多い。中学になると環境問題や情報モラル、生命倫理に関わる内容も道徳に入ってくるだろう。担任にそこまでの指導ができるかどうか、検討が必要だ」
--教員養成段階での留意点は
「道徳専任教師の制度も模索すべきかと思うが、いずれにしても教員養成段階の充実は必要だ。今は道徳が教科ではないので、大学で必要な単位は2単位だけ。ほとんどの大学に道徳の専門家がおらず、道徳の授業も形骸化して当然といえる。教科に格上げされれば大学での研究も深まることになり、正のスパイラルに転換できるはずだ」
--文科省が発行している「心のノート」をどう評価する
「一定の意義はあったが、子供が考えるための材料が提示されておらず不十分だ。検定教科書では民間会社による競争で、質の向上も期待される。読売新聞が今年春に実施した世論調査では、道徳の教科化について賛成が84%に達した。これは現状の道徳教育に対する危機感の反映で、われわれはその結果を直視せねばならない」
■藤田英典氏「特定価値教え込むこと」
--道徳の教科化について
「反対だ。道徳を教科にすると教科書をつくることになるが、社会科では政府見解を教科書に盛り込む方向で話が進められている。同様に道徳の領域でも現政権の考え方が入ってくることになりかねず、きな臭さを感じる。また、正式な教科になると子供を評価することになるが、道徳は評価になじまず、子供に望ましくない影響を及ぼす危険性がある」
--学校の中での道徳の位置付けは
「現行の学習指導要領では、『道徳の時間』として週1回、教えることになっている。道徳は本来、国語や社会など各教科を通して学んでいくべきで、『これが道徳だ』という特定の価値観を教え込むものではないだろう。その意味でも、今のままが望ましい」
--文科省が発行している「心のノート」をどう評価する
「特定の考え方を教え込むことになっており、あまり好ましいものではない。道徳は教科書がないと身に付けられないものではないはず。それよりも教室や学校を本当に潤いのあるものにしていけば、道徳心や郷土愛、愛国心といったものは自然と身に付いていくものだ。人や地域とのつながりの中で、道徳心は育まれていく。例えばプロ野球の楽天が優勝すれば、東北地方の人はみんな喜んで、改めて自分たちの郷里を誇りに思うはずで、地域社会や日本の社会が本当に豊かなものになっているかどうかが重要だ」
--教師の側からすると、そうした環境づくりが大事ということか
「部活動や運動会、学級活動でも子供に役割と責任を与えていろいろ経験をさせる中で、そこに居場所があると思える子供は道徳心を育んでいく。ただ、それで十分とはかぎらないから、道徳の時間に地域ごとに各先生が何が大切かを考えて教材を選んでいけばいい。また、日常生活で当たり前のことがきちんとできていることが重要で、げた箱がきれいな学校は落ち着いている。そうした中で道徳心は育まれていくのであり、教科書をつくって教え込むものではないだろう」
--道徳が教科化されている韓国など諸外国と比べて、日本の道徳教育はうまくいっているようにも思える
「それはそうだが、道徳の時間がいいというよりも、日本の学校や社会の治安秩序がいいといった面が大きい。おもてなしの心も、地域社会の中で豊かに息づいている。国全体にそうした豊かさがあるからこそ、道徳心の形成もうまくいっている。日本の道徳教育は現状で、うまくいっているとみていい。教科化することで道徳の授業の質が悪くなることはあっても、良くなることはまずないだろう。それよりも、子供が誇りに思える学校づくりこそが大切だ」
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