県NIE推進協議会の第20回新聞記事感想文コンクールの受賞作品から、会長賞の新潟市立鳥屋野中学校2年、知野ひなきさんの「再会へ心をひとつに」と、産経新聞社賞の同市立浜浦小学校6年、宮崎真有さんの「広島の平和宣言を読んで」を紹介する。
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□会長賞・新潟市立鳥屋野中2年 知野ひなきさん
■再会へ心をひとつに
「母ちゃん、話したいこといっぱいあるよ」。大きな見出しで書かれたある日の新聞が目にとまりました。それは、佐渡市の曽我ひとみさんと母ミヨシさんが北朝鮮に拉致されてから八月十二日で三十五年になる前に、新潟で県民集会が開かれたという記事でした。
その記事には、ひとみさんの浴衣を夜なべして縫い、枕元に置いてくれていた、心の優しい母の思い出やミヨシさんから贈られた宝物の時計をひとみさんは肌身離さず今でも大切にしていたということが書かれていました。それを読みながら私はまるで自分もその会場で聞いているような気持ちになり、涙が止まりませんでした。今までテレビや映画を見て涙を流した事はありましたが、新聞を読んで涙が止らなくなった経験は初めてでした。それにこれは物語やドラマなどではなく本当に起きたことなのです。
「もし自分だったら」と考えるだけで胸がしめつけられるように苦しくなり、恐怖心でいっぱいになりました。
私は今までも何度か佐渡へ行ったことがありましたが、いつも多勢の観光客でにぎわう様子やきれいな海が印象的でした。まさか同じ島で三十五年前に恐ろしい出来事が起きたなんて想像もつきません。
今回新聞を読んで私は、拉致の被害にあい悲しんでいる人達、苦しんでいる人達の力に少しでもなりたいと思いました。そのために自分には何ができるのかと考えました。まずは被害者の帰国に向けて県民が心を一つに活動していること、被害者とその家族の再会を願う強い思いを決して忘れないことです。署名活動も機会があれば協力したいです。そして拉致問題の解決に向けてがんばっている方々の背中を支えていける大人になりたいです。
今度佐渡を訪れた時は、以前とは違った景色に私の目には映る気がします。
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□産経新聞社賞・新潟市立浜浦小6年 宮崎真有さん
■広島の平和宣言を読んで
私は八月六日の朝、広島で行われた平和記念式典をテレビでずっと見ていました。中でも印象に残ったのは広島市長の平和宣言です。平和宣言を聞いて、初めて原爆のことについて知りました。多くの人々が被害にあった時はもちろん、今もずっと病気とたたかっていたり、家族をなくした苦しみ悲しみにたえていたりしていることも知りました。
とにかく驚きました。もう一度平和宣言を聞きたいと思いました。そこで新聞記事を探して、何度も何度も平和宣言を読みました。
生き残った人も傷つける原爆は、何も悪くない人々の心も体も傷つけるとても残酷なものです。悲しみといかりがわきあがりました。でもこれだけじゃない、もっとたくさんのことがある、と思いました。私は直接広島に行って実際にあったことを見たいと思いました。
「どんな理由があっても武器を持って戦争をすることは多くの人を傷つける事なんだよ」
お母さんの言葉が、より広島に行きたいという気持ちを強くさせました。原爆は人々に何を残したのか見て感じたいと思いました。
「広島に行きたい」と言うとお父さんもお母さんも何も言わずに次の日に広島に向かうことが決まりました。
私は広島の平和記念公園に行きました。原爆ドームに行きました。そして原爆資料館に行きました。最初は展示がこわくて目をそらしそうになりました。でも、見ておかなければと思い、全ての展示を見ました。
とても残酷でひどくてひどくて、手のふるえが止りませんでした。絶対に戦争をしてはいけない、そう深く思いました。一度戦争をすれば、おたがいに傷つけ合うということがわかりました。そんな悲しい事はなくなってほしいです。
これから、世界中で戦争がなくなって、二度と原爆が使われることがないように、いろいろな事を学んで、私にできることを考えたいです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131026-00000072-san-l15