68人が死亡した新潟県中越地震の発生から9年の23日、被災地では追悼式が開かれ、参列者は犠牲者を悼み、復興への誓いを新たにした。旧山古志村(現長岡市山古志地域)には、震災復興に関する記録を残す住民交流館も開館した。
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小千谷市では、県や関係6市主催の「新潟県中越大震災9周年10・23のつどい」が開かれ、泉田裕彦知事や旧山古志村長だった長島忠美衆院議員ら230人が参列した。
泉田知事は「全国からの温かい支援に励まされ、復興への歩みを刻み続けてきた」とあいさつ。農業、細金剛さん(61)が、東日本大震災の被災者256人を小千谷市民の68軒が自宅に1週間泊めた活動を紹介し、中越地震での経験を生かしたことを報告、「全国に私たちの思いや経験を発信したい」と述べた。同市立吉谷小学校4、5年生26人が「花は咲く」を合唱し、当時のボランティアの人々や自衛隊に向けて感謝の言葉を送った。
震源地の長岡市川口地域では追悼式が開かれ、参加者は発生時刻の午後5時56分に黙祷(もくとう)を捧げた。
同市山古志地域には住民交流拠点「やまこし復興交流館 おらたる」が開館した。式典で長岡市の森民夫市長は「全国の被災地へ希望の明かりを届ける施設になってほしい」と述べた。
おらたるは、山古志の方言で「わたしたちの場所」という意味。被害と復興への歩みを写真などで説明し、山古志の地形に映像を映し被害状況などを分かりやすく伝える「地形模型シアター」を設置。住民が交流したり特産品を紹介したりするスペースもある。
おらたるの愛称を考案した建築板金業、小池正瑠(まさる)さん(55)は「震災による悲しみを乗り越えた思い出は未来をつくるための糧になる。交流館はそれを再認識する場。子供たちにも来てほしい」と語った。
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