「地震、津波や台風など様々な災害に悩まされてきた日本列島。石碑や古文書には、「後世のために」と、過去の被災者たちの思いや教訓が刻まれている。それを今に生かし、次の世代に伝えるために模索する人たちがいる。
■元校長、古文書もとに紙芝居 三重・南伊勢町 【森直由】「後の世でこのようなことが起こったら、みんなで屋根より高い山の頂上に逃げ、決して引き返してはならない」「子や孫にこの一大事を知らせるために、こと細かく記しておく」 三重県南伊勢町の古和浦(こわうら)地区にある甘露寺の供養塔に記された教訓だ。住民らが1739年に、宝永地震(1707年)の犠牲者の三十三回忌に合わせて墓地の入り口に建てた。
県内では、宝永地震と安政東海・南海地震(1854年)に関する石像物が17基ある。県埋蔵文化財センターの伊藤裕偉主幹(47)は「当時の教訓が記された碑文は非常に珍しい」と話す。
南伊勢町内には、各村の庄屋が地震の被害をまとめた文書の写しが残る。犠牲者数や流失家屋数が記され、代官所に報告されたという。文書によると、古和浦地区は宝永地震で65人が死亡したが、約150年後の安政東海・南海地震では5人だった。約9キロ東の贄浦(にえうら)地区にある最明寺の供養塔にも教訓が刻まれており、同じように死者が55人から3人に減った。
古文書を調べている同町の元小学校長仲西栄助さん(70)は「教訓が後世に伝えられ、被害者が減ったのではないか」と話す。地元には、こんな言い伝えがあるという。「宝永地震後、庄屋は、子どもたちに教訓を伝え続けた。安政東海・南海地震のときは、子どもたちが大声を出して山へ逃げ、それを見た大人も避難して多くの人が助かった」
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