[ カテゴリー:環境, 社会 ]

PM2.5かつての日本の数字に驚愕!

中国からの「越境大気汚染」が問題になっており、「PM2.5」という言葉が注目を集めています。現在、中国の大気汚染はとてもひどいものですが、かつて日本も同様の苦しい目に遭ったことがあります。「公害」という新しい言葉がメディアに登場した高度成長期、日本のあちこちで大気汚染は深刻でした。

 

かつての日本の大気汚染がどのようなものだったのか、東京大学 大気海洋研究所 気候システム研究系 特任研究員 鶴田治雄さんにお話を伺いました。

 

●1960年代から1970年代は日本も苦しんでいた

 

――高度成長期には日本でも深刻な大気汚染があったと思うのですが、その様子はどのようなものだったのでしょうか。

 

鶴田研究員 「日本の大気汚染は、昭和30年代後半から昭和40年代前半にかけてがそのピークだったと考えられています。始まりは、四日市市のぜんそくが問題になったことで、そこから全国的に大気汚染による「公害」が深刻な社会問題として取り上げられるようになりました。」

 

――当時の大気汚染の原因は何だったのでしょうか。

 

鶴田研究員 「当時、多くの沿岸地域に建設された重工業や石油コンビナートで、燃料として使用した石炭や重油などから排出される硫黄酸化物、降下ばいじんや粉じん、そして爆発的に増加し始めた自動車からの排ガス、などですね。」

 

エネルギー転換で石油を使っている工場でも、硫黄分の多いC重油などを燃やしていたりしました。当時、自動車の排ガス規制はありませんでしたから、自動車からの排ガスはひどいものでした。また工場への脱硫装置や集じん装置等の設置が普及していませんでしたし。

 

――日本人が豊かになって自動車を持つ人が急速に増えてきたこと、また開発がどんどん進んで工業地帯も広がり、いわばその必然として出てきたと。

 

鶴田研究員 「コンビナートの立地に好都合だった人口の多い沿岸地域、例えば東京湾岸の京浜・京葉工業地帯などで、大気汚染が深刻化して多くの住民が健康被害を受けるなど、全国で問題が起こっていました。」

 

●当時の日本の大気汚染の度合いは!?

 

――現在、「PM2.5」という言葉に注目が集まっています。当時の日本の大気汚染はどのようなレベルだったのでしょうか。

 

鶴田研究員 「「PM2.5」は最近出てきた概念、言葉で、当然ですが当時の日本にそのような言葉はありませんでした。例えば「ばいじん」「ばい煙」「粉じん」「浮遊粉じん」といった言葉で空気を汚染する粒子状物質を呼んでいました。」

 

――なるほど。当時のデータは現在でも残っているのでしょうか。

 

鶴田研究員 「はい。私もかつて調査に参加していたことがあります。」

 

ハイボリュームエアサンプラーという、言ってみれば掃除機みたいに大気を大量に吸引する機器を使って、空気中の微粒子をろ紙上に捕集して、その重さを測定します。集めた空気中にどのくらい汚染物質が含まれているのかを調べます。

 

例えば、これは、当時の東京都公害研究所の研究員だった大平俊男さんがまとめられた1970年のレポート「浮遊微粒子測定例の紹介」に掲載されているデータですが……。

 

■測定点:羽田航空地方気象台
測定日:1965年12月3日-16日(24時間採取)
平均:336μg(マイクログラム)/立方メートル
最大:960μg(マイクログラム)/立方メートル
最小:93μg(マイクログラム)/立方メートル

 

――日本の現在の環境基準によれば「PM2.5は1立方メートル当たり35μg(マイクログラム)以下」(24時間の平均)とされていますから……。

 

鶴田研究員 「いえ、気を付けてください。当時はPM2.5(直径が2.5ミクロンよりも小さい微粒子)という概念がありませんでした。ハイボリュームエアサンプラーでは、直径数10ミクロンの粒子まで採取されますので、PM2.5よりも大きな粒子状物質も含んだ数字です。」

 

ですから、現在の基準と比べるのであれば、このうちPM2.5がどのくらい含まれているのかを想定しなければなりません。

 

――PM2.5はどのくらいの量と見積もればいいのでしょうか?

 

鶴田研究員 「そうですね。ざっくり半分と考えていいのではないでしょうか。実際には半分以下の場合が多いと思いますが。」

 

――そうすると前述のデータは、このようになりますね(多めに見積もったとして)。

 

PM2.5相当量
■測定点:羽田航空地方気象台
測定日:1965年12月3日-16日(24時間採取)
●浮遊微粒子濃度
平均:168μg(マイクログラム)/立方メートル
最大:480μg(マイクログラム)/立方メートル
最小:46.5μg(マイクログラム)/立方メートル

 

――最小でも現在の環境基準(35μg(マイクログラム)/立方メートル)を超えているということになりますね。

 

鶴田研究員 「そういうことですね。例えばこのレポートにはこのようなデータもあります。」

 

■測定点:都庁第一庁舎(屋上)
測定日:1965年12月3日-16日(24時間採取)
平均:409μg(マイクログラム)/立方メートル
最大:1,430μg(マイクログラム)/立方メートル
最小:36μg(マイクログラム)/立方メートル

 

――最大の値はひどいですね。PM2.5を想定すると715μg(マイクログラム)/立方メートルですから、現在の環境基準のざっと20倍です!

 

鶴田研究員 「はい。やはりどこまで汚染されているかは、平均値だけでなく最高値も見なければなりません。当時の東京で、いかに空気が汚れていたかがお分かりいただけるのではないでしょうか。」

 

自動車による大気汚染がひどかったことを示す例としてこのようなデータもあります。

 

■測定点:日本橋本町高速道路入口
測定日:1965年12月10日
平均:2,520μg(マイクログラム)/立方メートル

 

――半分と考えても1,260μg(マイクログラム)/立方メートル!

 

鶴田研究員 「これは11時40分-18時までの計測で、24時間ではありませんが、それでも非常に高い数字です。」

 

――東京の空気は今とは比べものにならないほど汚れていたんですね。

 

鶴田研究員 「東京以外もその当時はよくありませんでした。例えば京浜工業地帯はかつて大気汚染に苦しんだ地域です。昭和38年10月の「神奈川県大気汚染調査研究報告第6報」には、川崎市の衛生局が調べた当時のデータが掲載されています。」

 

ハイボリュームエアサンプラーで調べた結果、「浮遊粉じん」の濃度は、8月、9月ともに最高値は1,040μg(マイクログラム)/立方メートルという記述があります。ですので、やはり当時は相当に空気が汚れていたわけです。

 

*……原文の記述は「1.04mg(ミリグラム)」です。分かりやすいように1,040μg(マイクログラム)に直しました。なお、採取時間は9時半から15時半までの6時間です。

 

●日本は克服に向かって頑張った!

 

――この、日本のかつてのデータを見ますと、日本は非常に頑張って大気汚染を克服したように思えますが……。

 

鶴田研究員 「そのとおりですね。このようなひどい大気汚染によって健康を損なわれた地元の人々が、自治体や企業に排出量を規制するように要求したことと、それを受けて地元の自治体が企業と公害防止協定を結んで規制を強化したり、そして国に対しては法律でも規制するように働きかけ、企業も対策に真剣に取り組んだからです。」

 

また、このようなデータを汚染地域で丹念に調査、測定。収集し、その具体的な対策方法を考えた人たちがいたのです。日本は頑張ったと思います。

 

もちろん、まだ、多くの方々がずっと公害病で苦しまれていますので、今でも、現状に甘んじることなく、もっときれいにする努力を怠ってはいけないと思います。

 

――どのような努力の結果でしょうか?

 

鶴田研究員 「自動車の排ガス規制ができて、触媒装置などが発達し、自動車メーカーさんが規制をクリアするようにしたこと。また、硫黄分の少ない石油や、さらにはクリーンな液化天然ガスなどを使うようになったこと。工場では集じん装置や脱硫装置を付けて操業するようになったこと、などですね。」

 

――環境に対する意識の高まりも大きかったのでしょうか。

 

鶴田研究員 「そう思います。公害で汚れた空気をきれいにして健康に過ごしたい、そして青空を取り戻したい、というのが、多くの人々の切実な願いでした。また、それをベースとして、経済成長と環境保全を両立させるにはどのようにすればいいのか、行政も企業も待ったなしで真剣に取り組んできたからだと思います。」

 

そのような時代を背景に、大気汚染を何とかするために、それこそ日本全体が一生懸命対策に取り組むことができたのです。

 

●中国の大気汚染はどうなる!?

 

――中国の大気汚染はこれからも進むと思われますか?

 

鶴田研究員 「残念ながらすぐに数値が改善されるというわけにはいかないのではないでしょうか。自動車の台数も今後もまだ増えるでしょうし、火力発電所、工場などが環境に配慮した施設へ転換していかないと、難しいでしょう。」

 

――中国の大気汚染の原因をどう見ておられますか。

 

鶴田研究員 「私は、工場からだけでなく、暖房や料理で使われる燃料を燃やして家庭から排出される大気汚染物質に加えて、自動車の急速な増加も大きく寄与しているのではないかと思います。」

 

また、中国国内では石炭がたくさんとれますので、石炭を使っている火力発電所が多いですが、脱硫装置や集じん装置の設置がまだ不十分で、エネルギーの転換も十分に行われているとは思えません。

 

工場も日本のように環境に配慮した設備が十分に整ってはいないのではないでしょうか。

 

最近の中国科学院大気物理研究所の調査結果によれば、この1月中旬に発生した北京市、天津市、河北省の深刻な大気汚染の原因は、PM2.5の成分分析の結果、その約半分は、石炭燃焼と自動車からの排出ガスによるもの、と報告(2月21日)されています。

 

この2月に中国国務院常務会議は、火力発電や鋼鉄などの6大業界に、大気汚染物質の特定規制値を設定して、企業に努力してもらうよう発表しました。また、北京市でもこの2月1日から(2月1日から施行)、自動車からの排出ガス規制を強化し、燃料のガソリンに含まれる硫黄分がEU並みの低いものを使用するように決定しました。

 

――頑張れば大気汚染を改善することはできるのでしょうか。

 

鶴田研究員 「できると思います。やれることはたくさんあるでしょう。そして、住民、企業や行政が、お互いに協力しあって、努力することが大事なのではないでしょうか。また、日本としては、かつて大気汚染を克服してきた技術やそのノウハウを中国側に提供して、よりよい環境作りに積極的に協力してほしいです。さらに、大気汚染公害をなくすために、どのように奮闘してきたか、これまでにたくさんの報告がありますので、それらも参考にしてもらえれば、と思います。」

 

いかがだったでしょうか。かつての資料をひも解くと、高度成長期には日本も深刻な大気汚染に悩まされていたことが分かります。

 

前述したとおり、日本の環境基準では「PM2.5は24時間平均で35μg(マイクログラム)/立方メートル以下であること」です。

 

かつて大気汚染で苦しんだ地域でも、今やこの基準を超えることは少ないと考えられますが、日本では、平成24年度から、大気汚染防止法に基づいて、PM2.5の測定が全国の自治体で始まりました。

 

それらのデータが公表され始めましたので、日本の状況が詳しく分かりつつあります。

 

なお、国立環境研究所の2月21日の発表によれば、2013年の1月は、西日本でもしばしば環境基準値を超えるPM2.5の濃度が観測され、1月31日には全国の測定局数の31%が環境基準値を超え、西日本で多かった、とのことです。

http://news.goo.ne.jp/article/mynaviwomen/life/medical/mynaviwomen-85582.html

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