■ 社会維持のためのマイノリティ化
僕は、社会参加しづらい子どもや若者の支援を本業としている。そのなかには、不登校・ひきこもり・ニートの人たちが大勢いらっしゃるのだが、それらは日頃の「状態像」を指す言葉であり、中身をよ~く見ていくと、それぞれ専門的に区別することができる。
たとえばひきこもりの若者の中には、精神障がい(統合失調症や躁うつ病)の方もいらっしゃるし、発達障がいの方もいらっしゃる。
これら精神障害や発達障がいは、近代社会が「発明」したものかもしれず、近代社会成立以前にはこのような障がい名は世界に存在していなかった。
逆にいうと、我々の近代社会が成立するために必要だったもの(このような「変わった方々」を排除することで社会は統率され生産性が上がっていく)が、これら「精神障がい」や「発達障がい」等の障がい名と障がい基準だと言える。
一人ひとりの状態を見ていくと、そんな「障がい」みたいな大げさな名付けは必要ではない(まあ、一定の安定やペースをつかむまで本人と周辺はたいへんだが)と思うものの、人間の特徴である「社会」を形成していくとき、このような、「変わった人たちをマイノリティとしてカテゴライズして一定のルールのもとに統率することで、社会そのものを維持していく」ことは仕方のないことなのかなあと思うことで僕は折り合っている。
何よりも、当事者やその家族が、ある程度の障がい名とカテゴライズを受け入れることで、近代社会が持つ「障がい者支援」制度のサービスを受けることができる。
こうした制度を受けることで、当事者とその家族は、そうした制度を受けないよりも「ベター」な状況となることが多い。
僕は学者でもジャーナリストでもなく「支援者」だから、本人たちが必要であれば、たとえその裏に近代社会がもつある意味「暴力的カテゴライズ」に気づいていたとしても、それに反対はしない。
■アスペがせっかく市民権を得たのに……
で、そうした暴力的カテゴライズによって安定する障がいのひとつが「アスペルガー症候群」に代表される発達障がいだと僕は思っている。
アスペ(こっちのほうがかわいいので略します)は、嘘か本当か知らないけれど、アメリカでは社会から歓迎される要素もある「障がい」らしく、ある意味「突出した才能を持って生まれた代わりに、人間社会をやりすごすための『見えない諸ルール(“場の空気”をよむ、言葉の多義性を読み取る、計画の変更を受け入れる等)』に対処しにくい人たち」だと一言で言い表してもいいと思う。
かわりに、アスペの人が活躍できる「環境」さえ設定できればものすごい才能を発揮すると言われ、たとえば坂本龍馬もエジソンもアインシュタインもゴッホもアスペルガーだったといわれているし、映画監督のスピルバーグは診断も受けている。
逆に、そうした環境を設定できなければ、アスペの人たちはたいへん苦しくかつ生きづらくなり、二次障がいとして抑うつ状態になったりその他さまざまな精神症状が現れる。
このような二次障害を生まないために、支援者は家族とともに「生きづらくない環境づくり」を形成していく。
このブログの媒体はYahoo!なので、これ以上の専門的見解は控えておこう。
このようなアスペルガー症候群が、アメリカの精神医学の診断基準DSM5での改定で消滅し、「自閉症スペクトラム障がい」に統一されるそうだ。
これは以前から専門家の間では知られていたのだが、ついに一般にまで報道されるようになった(すぐに見つけた記事ではこんなの→自閉症、アスペルガー・・・「ASD」に統合 米精神医学会、基準を改訂)。
僕は、日本では、アスペがせっかく市民権を得始めたのに非常にもったいないと思う。
アスペはこれまで、時々犯罪と結び付けられて報道されることも多かったが、行政や保健・医療期間、関係者によるメディア活動等の地道な取り組みにより、最近はそれらの偏見もだいぶ緩和されてきたと思っていた。それなのに、関係者はまた一から社会的偏見との格闘を始めなければいけない。
■ニュータイプ
また、最近は「発達凸凹」というかわいい名称も流通し始めたところだった。これは、発達障がいとまでは診断しにくいけれども「かなりそれっぽい人たち」のことを総称しようということで、杉山登志郎医師が発案したものだ。
発達凸凹はすごく便利な言葉で、はじめに書いたカテゴライズの暴力性から逃れてはいないものの、凸凹というある意味「アート的」というか抽象的な意味合いが交じることで、この概念のあいまいさを上手に表現している。
何よりも凸凹と言われても、当事者はあまり傷つかないように見えるのがいい(僕自身も発達凸凹な人なのだが、むしろ笑いに転嫁できる強みがこの言葉にはある)。
だから、だ。アスペルガーにしろ発達凸凹にしろ、近代的「名づけ」とカテゴライズの暴力性からは逃れられないにしろ、その言葉を受け入れることの有利さをいかすために、関係者の努力でその言葉に伴う偏見をやっと除去し始めることができていた。
なのに、またまた新しい暴力的カテゴライズ(DSM5での自閉症スペクトラム障がいへの統一)が登場した。関係者・当事者は、またその言葉に伴う偏見と格闘しなければいけない。
新しいもの好きの日本の専門家の方たちも、以上のようなことを考慮した上で、新しい言葉を使ってほしいものだ。
実は僕は、スピルバーグもエジソンも含まれるこうしたタイプの人達は「障がい」というよりは(主体的にハンディキャップをもっているというよりは社会からハンディキャップを与えられているという点から)、進化した「新しい人類のかたち」なのでは、とこの頃は思い始めた。
これはジョークでもなんでもなく、あの「ガンダム」で出てきた「ニュータイプ」の、ひとつの現実的展開がここにあるのでは、と真面目に思っている。
笑いとばしてもらってもいいんですが、「ニュータイプ」としてアスペルガー症候群をとらえるとすべてが説明つくんですよね~。
といっても凸凹である僕はニュータイプまでとはいかず、たぶんシャアどまりなんでしょうが(←これも誤解を与えそうな……)★
一般社団法人officeドーナツトーク代表
出版社起業、NPO法人代表のあと、2013年4月より一般社団法人officeドーナツトーク代表。子ども若者問題(不登校・ニート・ひきこもり等)の支援と、子ども若者ソーシャルセクター(NPO等)への中間支援を行なう。2003年、大阪大学大学院「臨床哲学」を修了。主な著書に、『ひきこもりから家族を考える』(岩波ブックレット)ほか。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20130503-00024704/