越後平野を蛇行しながら流れる中ノ口川はかつて、幾度となく破堤し、水害を起こしてきた。明治時代の河川改修で破堤はしなくなったが、戦後になると、周辺での水溶性ガスの採取による地盤沈下で再び治水が不安定になった。1958年から、堤防のかさ上げや河川改修工事が始まったが、川沿いに民家が密集しており用地取得に時間がかかることなどもあり、50年以上たった現在も完了のめどはついていない。東日本大震災では、津波など防災対策の重要さを改めて問題提起したが、たびたび豪雨被害が起きている県内でも、対策は万全ではない現状がある。
「地域は待ちきれない思いで待っている」。中ノ口川の川沿いにある同市西区板井で、板井総自治会の総代を務めている小林博さん(72)は話す。
大震災から約4カ月後の11年7月に起きた「新潟・福島豪雨(7・29水害)」では、中ノ口川の水位が危険水域まで上がり、通常は排水路の水を川に流しているポンプが止められた。排水路から水があふれ、田んぼや黒埼茶豆の畑が泥水をかぶった。「立派な排水機場があるのに、困っているときに使えないなんて」。川から水があふれれば、被害はよりひどくなると分かっていても、理不尽という思いは消えない。
現在、板井地区も含む約5・2キロで堤防の暫定かさ上げ工事が下流から進められている。完成には5年ほどかかる予定だったが、1~2年ほど前倒しできる見通しが出てきた。「防災・減災」を掲げて公共事業を大幅に増加させた自公政権の大型補正予算の影響で、県の2月補正予算で15億円がついたためだ。県河川整備課は「公共事業費は右肩下がり。『選択と集中』でやらざるをえず、大型補正で予算がついたとはいえ、遅れを取り戻しているに過ぎない」と話す。
工事の進展に喜ぶ一方で、小林さんには一つの懸念がある。地区では洪水の防災訓練を長らく実施していない。大震災や7・29水害の後も、地域住民の防災意識が高まったとは感じないという。今年6月、7年ぶりに訓練を行う。「かつて何度も破堤した川とはいえ、直接経験した人はいない。『もし破堤したら』ということを常に頭に入れて準備しないと……」と表情を険しくする。
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大震災後の防災対策について、水害対策を研究している新潟大の災害・復興科学研究所の安田浩保准教授(河川工学)は「早期避難や防災教育などのソフト面の組み合わせが不可欠と認識されるようになった」と話す。
国は大震災を受け、地震・津波対策について、堤防などハード面の整備である程度対応できる「レベル1」(数十年~百数十年に1度程度)と、ハード面だけでは対応困難で早期避難などソフト面の対応が主となる「レベル2」(数百年~1000年に1度程度)に分けて、防災対策を検討することを決めている。
安田准教授は「災害に上限はない、つまり防げない災害がありえることを国が初めて認めた」と解説する。そして「堤防などができても、『これで大丈夫』と思わないこと。一人一人が防災への知識、知恵を身につける必要がある」と指摘する。
3月13日朝刊
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