加茂市五番町の地域交流センターでは昨年2月から毎週水曜、東日本大震災による福島県からの避難者同士の「交流サロン」が開かれている。福島県郡山市から家族6人で加茂市へ避難した七海斗菜(ほしな)さん(32)も交流サロンに通う一人だ。
七海さんは震災から約半年後、両親と長女(5)、長男(3)、次女(2)の子ども3人と一緒に避難した。お菓子をつまみながら、同じく子ども連れで避難している同世代の母親と子育ての話などに花を咲かせている。「同じ避難の経験があるので、思いを打ち明けられる部分はある」と話す。
避難をして半年たったころ、七海さんは「相談できる人がいない」と孤立感を感じるようになったという。長女が通う幼稚園で保護者同士の交流があり「ママ友」もできたが、「自分は避難者」という思いが引け目になり、本音や悩みごとを打ち明けることはなかなかできなかった。
幼い子どもを連れての避難生活は想像以上に大変だった。夫は仕事で郡山市に残り、友人も親戚もいない新潟で不安が募った。そんな中、加茂市の交流サロンの存在を知った。「他の避難者の状況が分かり、情報も入ってきて気持ちを落ち着かせることができた」と振り返る。
県内では8日現在、5798人の避難者が暮らす。県広域支援対策課によると、避難者の交流拠点は現在13市町村に21施設ある。いずれも情報提供や避難者の孤立化防止が大きな目的だ。また各自治体で約50人の見守り相談員が避難者の各家庭を回って不安を聞いたり、支援が必要な場合は関係機関を紹介したりしている。同課は「声を上げることができず、孤立を深めている人もいるだろう。いかに困っている避難者を見つけ、声をかけていくかが今後も大事になる」と話す。
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避難生活の長期化は、家計も圧迫している。自身も避難者で、新潟市の避難者交流施設「ふりっぷはうす」の男性スタッフ(37)は「経済的な厳しさから、避難をいつまで続けられるか不安に思う声をよく聞く」と話す。
福島市から新潟市に子ども3人と避難し、同施設を利用している角田郁子さん(40)は「高速道路代が一番の負担」と漏らす。昨年4月、高速道路の無料措置の対象から自主避難者が外れた。福島に残る夫は、以前は毎週末に子どもに会いに来ていたが、往復の高速道路代に約7000円かかる。夫が来るペースは月2回に減り、角田さんは「子どもたちも寂しい思いをしている」と話す。
また、借り上げ仮設住宅の補助がいつまで続くかも不安だ。来年3月末までの単年延長は決まったが、その先は分からない。
こうした声を受け、県は今年1月から月1回の往復分のみ高速道路代を補助している。また昨年4月から新潟市と郡山市間の高速バス代の補助も始めた。4月以降も継続する予定だが、県の担当者は「本来であれば、国が責任もって対応すべき問題」と話し、継続的な支援の必要性を強調した。
3月11日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130311-00000091-mailo-l15