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大震災2年:/2 避難家族 娘の進学考え帰郷決意 新潟との別れ、複雑な思いも /新潟

東日本大震災の影響で、福島県南相馬市原町区から娘2人とともに加茂市に避難している阿部和恵さん(32)は、4月初旬に福島の自宅に戻ることを決めている。最大の理由となったのが、長女の玲奈さん(12)が今春に中学校に進学すること。「多感な時期に、中学校の途中で福島に戻ることになって、友人と離ればなれにしてしまうのは避けたい」。娘の生活を最優先に考えた決断だった。

阿部さんは震災直後、夫の和隆さん(34)と玲奈さんと4歳の次女の4人で避難。やがて和隆さんは仕事で福島に戻り、母子3人で生活している。
3月上旬、阿部さんは玲奈さんに「福島に戻るの、どう思う?」と問いかけた。しばらく間を置いて、玲奈さんは「何て言っていいか、分かんない」と答えたという。娘の複雑な気持ちがうかがえた。「引っ越しまでに新潟の友達と一緒にどこか遊びに行きたい」とも話した。阿部さんは「新潟にも福島にも友達がいる。戻ることを反対はしていないが、つらい思いもあるのだろう。娘の気持ちを考えると切ない」と明かす。
慣れない土地での生活に戸惑うことも多かった。特に冬はこれまで経験したことのない大雪に悩まされた。だが、娘の通う小学校の保護者や同じ避難者の母親との交流に助けられた。「子どもたちも可愛がってもらえた。周囲の支えがなければ生活できなかった」と振り返る。だが、頭の中には「福島は故郷。いつかは戻りたい」という思いがあった。和隆さんと離ればなれの生活は、経済的にも精神的にも負担が重かった。
もちろん東京電力福島第1原発事故による放射能への不安は消えたわけではない。「放射線量には注意し、子どもの外での行動には気を配るつもりでいる」と話す。
県広域支援対策課によると、3月8日現在、県内で暮らす避難者は5798人で、昨年同時期より約1300人減。毎月約100人のペースで緩やかに減少してきた。だが、同課の加藤千栄子課長は「年度末を迎え、子どもたちの進学を理由に福島県へ戻ることを選択する家庭は多いとみられる」と話す。
一方、福島県白河市から新潟市西区に家族4人で避難した橋本涼子さん(38)は「もう福島に戻ることはありえない」と話す。長男の颯(かえで)君(15)はこの春、新潟市内の高校を受験する予定だ。将棋が好きな颯君が「将棋部のある高校に行きたい」と自分で希望した。自己主張が強くなく、最初は避難生活にも前向きではなかった息子が自分の希望を口にしたことが橋本さんにはうれしかった。
橋本さんは震災前、夫婦共働きで洋菓子店を営んでいた。放射能汚染による健康不安から一家そろっての避難を決意。廃業し、自宅も売った。夫の勝さん(38)は求職中だが、涼子さんは新潟市の臨時職員として避難者の見守り相談員をしている。

颯君の受験日は今月11日。「新潟の生活を楽しんでほしい」。橋本さんは、それだけを願っている。
3月10日朝刊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130310-00000074-mailo-l15

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