◆6区 十日町、上越市など
衆院選は県内6選挙区に23人が立候補し、16日の投開票に向けて熱い選挙戦が続いている。国政を目指す候補者たちはどんな人たちなのか。6区の候補者の横顔を紹介する。【長谷川隆】
◇福祉の問題に取り組む--高鳥修一氏(52)=自元
民主前職の筒井信隆氏とは4度目の対決。「今回は絶対に負けられない」と雪辱に燃える。
前々回選(05年)は比例復活で初当選したものの、前回選(09年)で落選。以来3年3カ月、5人、10人単位のミニ集会を重ねた。その数は約300回に上る。約3000人と膝を交え、有権者の声に耳を傾け、自分の考えを伝えた。「できる範囲でやれるだけのことはやった」。言葉の裏に自信がにじむ。
総務庁長官を務めた修氏(83)を父に持つ2世議員だが、政治への情熱は他人に引けを取らないつもりだ。
長男(13)にはダウン症の障害がある。屈託のない笑顔にいやされる。障害児の親になって、政治家を志す原動力にもなった。
国会に戻ることができれば、1期目に続き、ライフワークの障害者福祉を含む福祉問題全般に取り組む決意だ。地元の課題にも全力投球する覚悟を強調する。上信越道の4車線化も推進させたい考えだ。また、佐渡沖の海底で石油と天然ガスの埋蔵量調査が実施されることを踏まえ、「上越をエネルギーの一大拠点として整備したい」と意欲をみせる。
他人からは「愚直」と言われるという。ラーメンの食べ歩きとギターの弾き語りが趣味。
◇地元被災地復旧に熱意--筒井信隆氏(68)=民前
民主への逆風を受けながら、個人の実績を懸命に強調する。
父親は農家の次男で、家も農地も相続しなかったため、暮らしは楽ではなかった。自身は4人きょうだいの長男で上に姉がいる。家族は筒井氏が4歳になるまで、親戚の牛小屋2階の住居で生活した。
工業高校に進学。3年になると機械製図など専門科目を学んだが、細かい作業は性に合わなかった。一方、貧しい農村に暮らし、弱い立場の人のためになりたいと思っていた。「弁護士になろう」。そう思って一念発起。早大法学部に進んだ。卒業後、1回で難関の司法試験に合格。市民派の弁護士として活躍した。
86年、社会党の衆院議員の後継者として立候補した。このときは落選したが、90年に初当選を果たした。その後、民主に移り通算5期。実務派で知られ、政権交代後は副農相として「農漁業所得補償など担当した農林漁業分野のマニフェストはすべて実行した」と胸を張る。
上信越道の4車線化推進や地元の被災地復旧に熱意を燃やす。消費増税については「景気回復のメドが立たなければ延期すべきだ」とも語る。
笑顔を浮かべ、誰とでも気さくに話に応じる。歴史が好きで、趣味は将棋。
◇いじめのない社会実現--高橋ミキ子氏(53)=共新
明るい笑顔がトレードマーク。地方選挙も含め、立候補は初めてだが、ハッキリとよく通る声で連日の街頭演説をこなす。
新潟市出身。短大時代は演劇同好会に所属した。「自分が違う人になってその役を表現するところが演劇の魅力」と説明する。入党したのもこのころ。「世の中を良くしたい。平和な日本を作っていきたいと思ったから」
短大卒業後は両親と家業の仕出し店を切り盛りした。32歳のころ、父親が脳梗塞(こうそく)で倒れた。朝は幼い長男をおぶって市場の競りに出た。夜遅くまで働いたが、水道光熱費や従業員の賃金を払うと、自分の給料は残らなかった。苦労は山ほどあったが、「人前では笑顔で頑張った」。店は約15年前に廃業した。
選挙戦では、主に「原発即刻廃炉、消費増税廃止、TPP参加絶対反対」を訴える。街頭で見知らぬ人から手を振ってもらったり、「頑張って」と声をかけられると励みになる。女性からの反応が特に良いという。
長男が中学時代、いじめに苦しんだ。その経験から、子どもたちが元気で、いじめのない社会の実現も目指している。ホッとできるのは、仕事から帰った夜、風呂から上がってのんびりしている時だという。「あー疲れたみたいな感じで」と笑う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121209-00000078-mailo-l15
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