東日本大震災や福島第1原発事故で、仮設住宅などに避難した高齢者や職を失った中高年者ら、環境の変化を強いられた被災者が認知症やうつ病を発症するケースが増えている。患者を支える家族や友人も同様の境遇で精神的に追い込まれていることも多く、精神科患者を地域で支える「受け皿」整備が急務だ。【桐野耕一、須藤唯哉】
福島第1原発から約9キロの福島県富岡町に住んでいた女性(66)は、親族2人が相次いで避難先で認知症になった。震災前には、一緒に農業と畜産業を営んでいた76歳の夫と、陶芸やコーラスのグループに所属し友人も多かった71歳の義妹だ。
自宅から約50キロの同県郡山市の複合施設「ビッグパレットふくしま」に避難していた昨年5月末。集団生活が苦手で車に寝泊まりしていた夫が突然言い出した。「原発の水素爆発を見た」。爆発時は避難中で、見ているはずもない。知り合いの医師に「初期の認知症になりかけている」と、薬を処方された。
郡山市内の仮設住宅に移っても症状は進んだ。入居2カ月の昨年8月には「地震なんて起きていない」。12月に高血圧による脳内出血で入院し、福祉施設に入所した今は「早く稲を刈らないと。家に帰らしてくれ」と懇願する。原発事故さえ忘れかけているようだ。
環境が何度も変わるうち性格も変わった。症状の悪化を保健師に相談しようと持ちかけると怒り出し、時には時計やテレビのリモコンを投げつけられた。
富岡町で1人暮らししていた夫の妹は、いつ発症したのかはっきりしない。埼玉県や東京都の親族宅を転々と避難し、昨年7月に福島県に戻り郡山市内のアパートで1人暮らしを始めた時は、もう症状が出始めていた。「物干しざおを盗まれた」と騒ぐ義妹に、火事を心配する不動産業者は「危ないから出て行ってほしい」と通告。今は女性と同じ敷地の仮設住宅で暮らす。
「2人とも原発事故のショックや避難生活のストレスのせいでしょう」。夫を施設に見舞い、義妹からも目が離せない女性は、疲れ切った声で話した。
宮城県石巻市の仮設団地で自治会長を務める山上勝義さん(52)は「仮設ではみんな疲れていて、うつになる人も少なくない」と話す。自営業だった山上さんは震災後、無職のまま。「自分と同世代の50~60代は仕事のつぶしが利かないのでつらい。定職がないと金が借りられない。仮設にはこんな状態の人が多く、自力では復活できない」と嘆く。
震災後、友人2人が自殺した。いずれも会社を経営していた50代男性で、会社を津波で失った。山上さんは「2人とも先が見えなかったのだろう。このままでは自殺者が増える一方だ」と懸念する。
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