◇手縫いベビー服贈る会 当事者ら遺族を支援
生まれて間もない子どもを亡くすことは、両親にはつらく、重い。当事者も周囲も話題にしづらいため、かえって理解が進まない面もある。悲しい経験をした母親らの言葉から、どのように子どもを見送ればいいか、周りはどう接すればいいかを考えた。
横浜市に住む智美さん(32)=仮名=は一昨年、予定日より4カ月早く長男健(たける)君を出産した。体重は470グラム。元気な泣き声を上げることなく、生後30分で息を引き取った。亡くなった後に名前をつけ、夫が出生届と死亡届を同時に出した。
「奈落の底に突き落とされた気分だった」という智美さんに、病院スタッフを通じて小さな手縫いのベビー服が贈られた。神奈川県に拠点を置くグループ「天使のブティック」からだった。
添えられたメッセージカードには「あなたと同じような経験をした私たちが心を込めて縫いました。自分たちの天使に『このお洋服を着た子に会ったら、お友達になって一緒に遊んであげてね』と語りかけています。一人じゃないですよ、お子さんもお母さんも」と書かれていた。智美さんは夫と号泣した。「私もだれかのためにベビー服を縫いたい」と決心した。
「天使のブティック」は、自らも次男を1歳で亡くした代表の泉山典子さん(51)が中心になり01年から活動する。亡くなった赤ちゃんを送る時、「市販のベビー服は大きすぎて悲しみを増幅させてしまう」と聞いたのがきっかけだった。
服を贈られたお母さんが仲間に加わり、会員は現在83人。毎月集まって手縫いし、昨年はベビー服413着と帽子155個を製作。全国60の医療機関に置いてもらっている。
泉山さんは「会は、心置きなく我が子のことを話せる癒やしの場にもなっている。親は『我が子に何もしてやれなかった』と悔やむもの。ベビー服を着たかわいい姿を心に焼き付けて、送り出してほしい」と話す。
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「昊大(こうた)は確かに存在したのに、まるでなかったことのようにされるのが一番つらい」
東京都内に住む山澤真由美さん(39)は06年に長男を生後13日で亡くした。生まれた翌日に心臓に異常が見つかり、2度の大手術に耐えたが最後は力尽きた。
山澤さんは、仲の良い友だちからの「早く忘れて、次に頑張ればいいよ」という言葉が嫌だった。「うん、そうね」と答えるしかなかった。
昊大君の写真をたくさん撮り、家族で川の字になって寝た。今も遺骨を入れたペンダントや病院で足首に付けていたネームタグなど、息子が存在した証しを肌身離さず持ち歩く。
山澤さんは「SIDS(乳幼児突然死症候群)家族の会」会員となり、電話相談の応対もしている。「亡くなった子はずっと、親にとってかけがえのない存在。そのことを気兼ねなく話せる場が親には必要なのです」と話す。
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親族から「つらいことは早く済ませて」「一日も早く立ち直って」などと促され、亡くなった子をすぐに荼毘(だび)に付してしまい、後で悔やむ人も少なくない。葬儀コンサルタントの柴田典子さんは「お子さんを家に連れて帰って、一晩だけでも親子で過ごしてはどうか」と勧めているという。
柴田さんがいつも驚くのは、翌日会った時の両親の変わりぶりだ。
「子どもがおなかをすかしたり、寒い思いをしたりしないかと、菓子や服をしっかり用意してくる。赤ちゃんと過ごすことで、たった一日で若い夫婦もパパとママになれる」
ひつぎは大きめのサイズを薦める。おもちゃ、肌着、ミルクなど、納めたい物が増えるからだ。白紙の便箋を入れた両親宛ての封筒も、用意してもらっている。ひつぎに入れる物は最小限にとどめるのが原則だが、赤ちゃんの時は目をつぶる。「パパとママからの最初で最後のプレゼントだから」
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◇子どもを亡くした親への接し方
▽避けたい言葉
「まだ若いから次の子を作ればいい」
「上の子どもがいるからいいじゃない」
「一定の割合で流産や死産は起きるもの」
「もっと不幸な人がたくさんいる」
「母親だけでも助かってよかった」
▽望まれる対応
・子どもの話題を避ける雰囲気を作らない
・「気持ちは理解できる」と言い切るより、「何と言えばいいか分からないが、私も悲しい」と正直な気持ちを伝える
・何年たっても「泣きたいだけ泣いていい」と言葉をかける
※「SIDS家族の会」の手引を基に作成。同会と天使のブティックなど11団体でつくる「天使がくれた出会いネットワーク」は、http://www.tensigakuretadeai.net/
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/medical/20120911ddm013040188000c.html