凍えるような室内で、ろうそくの明かりを頼りに被災者が身を寄せ合っていた。地震発生から4日目の14日夜に避難所を取材すると、電気や水道などライフラインが断たれた中、励まし合いながら懸命に生きようとする被災者の姿があった。「いつまでこの状態が続くのか」。その表情に、疲労と焦りがにじんでいた。
約400人が避難している岩手県大船渡市の大船渡北小学校体育館は停電が続く。ガソリン式発電機を使って電気ストーブ2台をつけているが、燃料は間もなく底をつく。0度近くまで冷え込み、板張りの床からは冷気が敷布団越しに体に伝わる。午前4時に目を覚ました田中よつ子さん(72)は「寒くて3時間しか眠れなかった。1枚の大きな毛布を7人で分け合っている」。家は津波で流され、帰る場所はない。
大船渡保育園の園児15人らも身を寄せる。長女尚奈(なおな)ちゃん(3)と避難した山本宏美さん(40)は「余震のたびに、娘は『地震怖い』と体を伏せる。家も流され、食事ものどを通らない」と娘を抱きしめた。必死で逃げたため、尚奈ちゃんには津波の記憶がないという。
約800人が避難する同県陸前高田市の特別養護老人ホーム「高寿園」。午後6時を過ぎると真っ暗になり、被災後に近所の寺からもらったろうそくの明かりをともす。横になっていた同市高田町の若松佐一さん(85)は「自宅に心臓病の薬を置いていたが家ごと流された。4日間、薬を飲めていない。腰も痛く、娘にマッサージしてもらっている」と話す。避難者には施設の入所者もおり、入手が困難な紙おむつの交換回数も減らしている。
玄関には避難者の手書きの名簿が張られ一晩中、行方不明者を捜す人が訪れる。闇の中、懐中電灯の光で名前を捜すが、多くは「見つからない」と肩を落とす。親類と子供の同級生を捜していた同市小泉の新沼浩美さん(48)は「日中は避難所の手伝いをし、仕事の合間に見に来たが見つからない。もう地震から4日目だが、何とか生きていてほしい」と祈るように話した。【古関俊樹、三木幸治】
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