地域活性化に対して、桑原 望さんの取り組み事例を紹介していただき話し合った。
彼の活動のキャッチフレーズは、「交流人口を定住人口に」。
栃尾の田代という、たった2世帯(しかも高齢者)しかない、いわゆる限界集落に、大勢の(年間通算1,000人くらい)の学生たちを連れて行って、集落住民と交流させながら、畑仕事を行ったり、地震で傷んでいた神社を修復したり、様々な活動を行ってきた。
ひっそり閑としていた寂しい集落に、学生たちが訪れるというだけで、集落は活気に溢れる上に、
学生たちとの交流の中から、地域の高齢者は元気を少しずつ取り戻す。
また、高齢者が学生に畑仕事の仕方や農村文化を教え、学生がそれに基づいて生き生きと活動する姿を目の当たりにすることで、生き甲斐を感じるようになる、、、という仕組みだそうだ。
もともと、生き甲斐とは、自己満足の中からは感じられないものだ。
他に認められ、必要とされてこそ、初めて感じられるものなのではないだろうか?
限界集落の人たちは、農作物がたくさんあるので、自分たちで食べるものは十分すぎるほどある。
殊に、この田代集落の場合は、農産物を農協を通さず直売するルートも既に自力で構築済みだそうだから、農業も上手く行っているほうだと言う。
だが、生きることに張り合いがなく、何となくやっていただけだったのは、生き甲斐が感じられなかったからだと言う。
桑原さんの活動で、集落住民が少しずつ元気を取り戻しているのは間違いなく、
また、実際に、一人の若者(女性)が、活動を通じて栃尾に定住しているとか・・・
たった一人とは言え、東京に住んでいた人を、しかも女性を、一人で定住させるというのは、そう簡単にできる話ではない。
そういう意味においては、立派な実績の一つと言えよう。
ただ、このやり方は、どの段階の集落にも当てはまるという訳ではないかもしれない。
限界集落とまでは行かなくとも、地域活性化を必要とする集落はたくさんあって、
そこは、むしろ、農業が上手くいかなくなって、落ち込んでいるところばかりだからだ。
他人の直売所に野菜を持ち込んでみるが、なかなか上手くいかない。
自分で直売所を作ってみるが、それも頓挫。
餅などの農生産品を作ってはみるものの、それも思ったように売れない。
やるだけやっているつもりなのだが、どれもこれもぱっとせず、一人減り、二人減り、、、
そして、気がつくと人口減少に歯止めがかからない状況になっている、、、という。
このような地域のほうが、どちらかというと、田代の例よりも一般的なのだと思う。
だから、今後の桑原さんには、できるだけ田代だけでなく、それ以外の地域にも出てもらい、
それら地域と、学生たちのコラボ事業を考えて行ってもらいたい。
もちろん、この場合の事業とは、地域にお金が回ってくる事業だ。
そして、周辺の集落にも元気を与えて活性化するということを実際にやって見せてもらって、
他地域の見本となってもらいたい。
元気のなさが一般的な(変な言い方だけど)状況の地域を活性化することで、よりモデル性
を高めてもらいたい。