【積善(せきぜん)の家(いえ)には必(かなら)ず余慶(よけい)あり】…易(えき)経(きょう)
(訳…ご先祖や親が良い行いをした家には、その家の子供や孫に必ず良いことがある)
~ この後に、【積(せき)不善(ふぜん)の家(いえ)には、必(かなら)ず余殃(よおう)あり】と続きます。
今、私達が幸せに暮らして行けるのも、ご先祖や両親のお陰なんだと、感謝しなければなりません。また、同時に、私達は自分の子供の為に、良い行いをしなければならない責任があります。
私達がそれに反して【積(せき)不善(ふぜん)】・悪い行いをすれば、 必ず子供に【余(よ)殃(おう)】・災いが及びます。 ただ、善行(よい行い)はこれ見よがしに行うものではありません。
淮南子(えなんじ)に次の言葉があります。
【陰徳(いんとく)ある者は必ず陽報(ようほう)あり】。人が見ていようが、見ていまいが、独(ひと)りを慎(つつし)み(自分一人のときの行動)、只ただ、無心で善行を積めば、必ず良い報いがある。と言っています。
だが、【陽報(ようほう)】を期待した【陰徳(いんとく)】には、その報いが無いことは当然です。
心して行きたいものです。~