skymaxです。
2001年8月2日、自動車を運転中の妻が突然、吐血して病院に入院しました。
後部座席には保育園に通う幼い子供2人を乗せていました。
もし妻が運転を誤れば大変なことになるところでした。
病院に駆けつけた私に、医師から告げられた病名は…末期の胃癌(レベル4)でした。
私には信じられませんでした。
身体がだるい、胃がおかしいということで、近所の町医者から処方された胃薬を飲んでいた妻でした。
体調がすぐれないのは疲れているせいだと、近所の整体に通っていた妻でした。
『胃癌になりにくい乳酸菌飲料』だというセールストークでヤクルトの販売員の仕事をしている妻でした。
それなのになんで?
身体にいいことばかりしていたはずなのに、どうして末期の胃癌なのかわけがわかりませんでした。
妻が倒れる1ヶ月前、私は長年勤務した会社に辞表を提出しました。
妻の実家の勧めもあり、脱サラしてコンビニを開業する事にしたからです。
新しい生活の夢を毎日のように妻と語り合っている矢先、妻が倒れてしましたのです。
当時の妻はまだ29歳、若くて健康的な可愛らしい女性でした。
営業の仕事で出張や残念、休日出勤の多い私を、いつも笑顔で支えてくれたのは妻でした。
度重なる転勤にも不平不満は言わす、一緒についてきてくれた妻でした。
誰も身内のいない転勤先で、喘息で入院がちだった子供たちを一緒に守ってくれたのは妻でした。
自分自身のことよりも、いつも子どもと私の体調ばかり気遣ってくれる優しい妻でした。
どうしてあんなに優しい妻が命を癌によって奪われなければならないのか?
先に死ぬべきなのはむしろ、苦労ばかりかけてきた私の方なのに。長く生きてきた私が代わりに癌になったら良かったのに。
いくら悔やみ嘆いても、事態は何ら良くなりません。
レベル4の胃癌での生存率はほぼゼロ、若くして発症した人ほど進行は早いのだそうです。
医師らも治療ではなく、余命をどうやって過ごすかを私に伝えたかったようですが、そんなに早く冷静に頭を切り替えることなど出来ませんでした。
子供たちはそんな私を励ましてくれました。
「お父さんありがとう」
「お父さん頑張ってね」
「お父さん大好き」
無邪気に笑っている保育園児の2人の子供を守り育てることこそが、妻の最大の望みであるはずだと確信しました。
病院のベッドから妻が言いました。
「私がこんなになってごめんね…無理しないでね…ありがとう…大好き…子どもたちは大丈夫かな?…」
癌で余命僅かの妻からの言葉に私は胸がいっぱいになりました。
私は妻や子供たちの前では涙を見せることが出来ず、病院のトイレに駆け込んで泣いていました。