アルコール依存症、摂食障害、強迫神経症…。さまざまな病気から回復した人たちが一堂に集い、笑いを交えながら魂のパフォーマンスを演じる。平成14年、新潟市で始まった異色イベント「こわれ者の祭典」は今年、5周年を迎え、公演は27回を重ねた。国内の自殺者が年間3万人を超える、この生きづらい世の中を、みんなで共同体を作って生き抜いていこう-。新潟から全国へ、力強いメッセージを発信し続けている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071128-00000044-san-l15
「いじめられて自殺するなら、学校を辞めよう」
「いじめられて死ぬぐらいなら、引きこもりになろうよ」
パジャマ姿の中年男性が、激しいギターサウンドに乗って絶叫する。10月、新潟市内で「ストップ・ザ・自殺」と銘打って開かれた「こわれ者の祭典」。3時間に及ぶ公演は、アルコール依存症・引きこもり“自慢”の月乃光司さん(42)のパフォーマンスで最高潮に達した。引きこもり時代に着ていたパジャマがステージ衣装だ。
穏やかな表情で取材にこたえる月乃さんだが、これまで歩んできた半生は壮絶だ。
小学生のころからいじめを受け、高校時代は醜形恐怖症のため不登校になり、引きこもり生活は通算4年間に及んだ。24歳からはアルコール依存症となって自殺未遂を繰り返し、精神科病棟に3度入院。手首には、高校時代から繰り返したリストカットの跡が残る。
酒は27歳で止めることができたが、生きづらさは変わらなかった。そんなとき、アルコール依存症患者でつくる自助グループの集会に参加。ある紳士然とした男性が自分のみっともない過去を、人前で堂々と発表する姿に衝撃を受けた。
「人生が変わった瞬間でした。過去をさらけ出すことで、不要なプライドに縛られていた自分が解放され、ありのままに生きられるって気づかされたんです」
月乃さんは仲間と2人で、「病気」を乗り越えた経験を話すイベントを開こうと考え、「新潟お笑い集団NAMARA」代表の江口歩さん(42)に相談した。これまで世の中のタブーに果敢に挑戦してきた江口さんは「ちょうど精神障害者のイベントをやろうと考えていたところ」と司会を買って出てくれた。
第1回公演は平成14年5月31日、新潟市内で開かれた。1度きりのつもりだった。「ところが、70人の会場に170人が来る大盛況。終わった後も本人や家族から『もう1回見たい』『私も出られますか』といった電話が相次いで。新潟でこんなに需要があるんだとびっくりした」。月乃さんは「こわれ者の祭典」を続ける決心をした。
単独ライブや自主映画上映などの関連イベントを含めると公演は約80回に上り、関東進出も果たした。公演後の打ち上げで来場者と交流、出演者は回を重ねるごとに増えていった。
幼少からの祖父の暴力が原因で、強迫神経症に悩まされてきたアイコさん(24)も「こわれ者の祭典」で人生が変わった一人だ。
「殴るけるより、言葉の暴力の方がつらかった。『お前はダメだ、ゴミだ』と言われ続けて、コンプレックスがすごくあった」。小学校のころは休み時間ごとにトイレで顔を確認。高校では授業中に呼吸の仕方が気になって、学校を休みがちになった。
どん底だった10代の終わり、月乃さんのパフォーマンスを見て鳥肌が立った。「格好悪いことを全身全霊で見せてくれる大人に初めて出会った。苦しいのは自分だけじゃないんだと知ったら、すっごく楽になって」
今では詩の朗読や弾き語りを披露、単独ライブを開くまでに成長した。「月乃さんに出会って、私は180度変わった。昔の私と同じような人がいたら、今度は私が支えになりたい」。普通の人の3倍、人に会うのがアイコさんの今の目標だ。
身体障害者も共演する「こわれ者の祭典」だが、月乃さんは当初、身障者が加わることに反対だった。「精神障害と身体障害は問題の質が違う」と考えていた。
脳性まひの障害があるDAIGOさん(34)は第1回公演から欠かさず見に来て、出演を猛アピール。15年12月、「身体障害者版こわれ者の祭典」を開くと、DAIGOさんのボケと司会の江口さんのツッコミに、会場は大受けだった。月乃さんは「生きづらさを受け入れ、ポジティブに生きる点では僕らと同じなんだ」と気づいた。DAIGOさんらの加入は、「こわれ者の祭典」に新たなパワーを注いだ。
「こわれ者」という表現は時に批判を浴びることがある。そんなとき、月乃さんはこう答える。
「肉体は必ずいつかは滅びる。だから、人間は誰もがこわれ者。『こわれ者の祭典』とは実は、『人間の祭典』なんです」