日本政府が東京オリンピックにむけて、パラリンピックでメダル獲得の可能性が高い選手を対象に、遠征費用などの予算を来年度から重点配分する方針を固めたことが報道されています。パラリンピックをはじめとした障害者スポーツでは、医療スタッフや支援スタッフなどの動向が必要な場合が多く、海外遠征には大きな費用がかかります。ほぼ自己負担ですから、パランピックの出場権を得るための海外での試合をこなすだけでも大変な支出になります。
オリンピックのメダリストでも遠征費用やトレーニング代などを確保するのに苦労します。アマチュアスポーツの台所は大変です。パラリンピックとなるとさらに難易度があがります。トレーニングの合間にアルバイトというのも困難な状況がある場合が多いでしょうし、遠征費用も一般の選手よりも嵩むことが考えられます。「やりたい」と思っても、「やれない」という現実の壁にぶち当たる選手も多いでしょう。
それを乗り越えないとパラリンピックへの出場はできないのです。いわば幾つものハンディを乗り越えてのパラリンピックへの参加なのです。「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と近代オリンピックの創立者といわれるピエール・ド・クーベルタン男爵は名言を残しました。この言葉はパラリンピックではさらに意義を増します。
日本政府が支援にさらに力を入れるのはいいことですが、日本社会が全体として、障害者スポーツにどれだけ支援をする体制を取れるか、も重要です。日本財団は2020年東京パラリンピックに向け、約100億円を出して、選手の練習環境を整える「パラリンピックサポートセンター」を設立したことが報道されています。素晴らしいことです。
こうした財団の支援以外にも民間でサポートできることはたくさんありそうです。なにより、パラリンピックにでる選手は、多くの人に希望を与えてくれます。もっと一般メディアでとりあげ、関心を高めることも重要です。パラリンピックは感動の大会です。それが多くの人に伝わるなら、財政的な支援も得やすくなるでしょう。個人的なサポータの輪の広がりも重要です。これは一方的な支援ではありません。支援する人は、非常に強い勇気と感動を得るのです。
どのようにこの仕組みを作るのか。まずは、障害者スポーツの選手のことを紹介するメディアを作ることが必要です。そしてそれをどれだけたくさんの人に見てもらえるか。そして共感する人をどれだけ増やすことができるか。パラリンピックでの成功は、オリンピックに劣らない、いやそれ以上の社会へのインパクトがあるといえます。すべての人が前向きに生き、支えあう社会の創造にむけて、パラリンピックは象徴的な意味を持ちます。新たな展開が望まれます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kodamakatsuya/20151005-00050169/