[ カテゴリー:福祉 ]

数年後、認知症患者は1000万人に? そうした社会で求められる価値観

2月17日、東京都北区の高齢者向けマンションで、認知症のお年寄り96人が「虐待」をうけていた可能性が高いというニュースが報じられた。
といっても、殴る蹴るという虐待ではなく、ベッドに縛り付けられたり部屋に閉じ込められたりしていたのだ。施設運営者は「医師からの指示で正当な拘束だ」と反論したが、高齢者虐待防止法で禁じられた「虐待」にあたるとして都が改善を勧告したのである。

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ちょっと前までは、こういうことが起きると「徘徊(はいかい)して行方不明になることや、身体の危険もあるわけだから、ある程度の拘束はしょうがないよなあ」と思っていたのだが、この道28年という「介護のプロ」とお話をする機会があって、最近はだいぶ考えが変わってきた。

その「介護のプロ」とは、介護福祉士の和田行男さんである。

ご存じの方もいると思うが、和田さんは認知症のお年寄りたちが家庭的な環境のなか、少人数で生活をする「グループホーム」を運営し、数々の先駆的な取り組みを続けてきたことで知られ、一部では「カリスマ介護士」なんて呼ばれている。だが、最初からそのような評価をされていたわけではない。

なぜかというと、かつては和田さんも介護業界では「老人を虐待している」と袋叩きにあってきたのだ。

●認知症のお年寄りは「ポップな生き方」

和田さんの施設は夜間以外カギをかけない。ベッドに縛り付けるベルトもない。認知症のお年寄りも普通に買物に行って、包丁を握って料理をする。和田さんらスタッフがサポートをしながらではあるが、できるかぎり「これまでどおりの暮らし」を維持するように心掛けているのだ。このような自立支援には「待つ」ことが重要だと和田さんは言う。

「子どもだって最初からなんでもできない。親や周囲の人間がいろいろ教えて少しずつ自分のものにしていく。認知症もきちんとした支援をすれば“できていたことができる”ようになる。それは認知症になった方たちと接していて教わりました。」

もちろん、さまざまなリスクもあるし手間ひまもかかる。介護する側からすれば、拘束や部屋に閉じ込めておいたほうが遥かに効率がいいだろう。それでもこのスタイルを貫くのは、「人間の尊厳」を守るためだという。

このあたりは先日発売された『介護ビジネスの世界』(宝島社)という本のなかで紹介されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい。そんな和田さんが発した言葉のなかで、個人的にものすごく印象が残ったものがある。それは、和田さんが認知症のお年寄りについて、「ポップな生き方」と評したことだ。

これまで介護施設や介護現場を取材したが、「ポップだな」と思ったことは一度もなかった。気の毒にとか、大変な苦労だなとか常に重苦しい暗いイメージしかなかった。その最前線で28年も戦い続けている人からこんなカラッとした明るい言葉が出たことに驚くとともに、認知症に対する見方が少し変わったのである。

そんなの現実逃避だ、言葉の言い換えだ、と思う人もいるかもしれないが、呼び方を変えるだけでも大きな意味がある。というのも、実はこの「認知症」という現象自体も「言葉の言い換え」によって大きな変貌を遂げているからだ。

●痴呆症患者の統計も推計も「増加」

覚えている方も多いと思うが、認知症はかつて「痴呆(ちほう)」と呼ばれた。1993年の厚労省人口問題研究所は、1990年に100万人だった「痴呆症」のお年寄りは、2025年になると322万人に増えると試算をしている。2003年の厚生労働大臣の私的研究会でも、「中重度の痴呆症」患者が2025年には176万人と推計している。この数字を受け、多くの人はまあそんなもんでしょと思っていた。

というのも、この時期は日本発のアルツハイマー治療薬が世に出たタイミングでもあった。進行を遅らせる画期的な薬が世界でバンバン売れて1999年には国内でも承認。アルツハイマー病が引き起こす「痴呆症」に対して“希望の光”が差し込み始めたのである。だが、現実はその逆で、この治療薬が登場したあたりから、認知症になるお年寄りの数が雪だるま式に増えていくのだ。

これは言葉の言い換えによって「痴呆」に抱くイメージが変わったことが大きい。2004年12月に厚労省が今のように「認知症」という呼び換えを決定して、「認知症をもっと知りましょう」という啓発キャンペーンを行った。これによって、「痴呆」という言葉に抵抗感のあったお年寄りの心のハードルを下げ、「最近物忘れが酷いし、もしかして認知症かしら」とお医者さんに相談をするという流れが確立したことで、飛躍的に認知症が増えていったのである。人の名前や自分の生年月日がパッとでないお年寄りが、場合によっては「認知症予備軍」というカテゴリーに入れられるようになったのだ。

それに拍車をかけたのが、「マイルド・コグニティブ・インペアメント(軽度の認知的低下、通称MCI)」という概念である。物忘れがヒドい人の何割かが認知症になるというデータがとれたことで、物忘れがヒドくなったらまずは診察と予防という潮流が一気にすすんだのだ。

これを「医療の進歩」ととるか「マーケティング」ととるかは意見の分かれるところだが、いずれにせよ、認知症数はぐんぐんと増加。厚労省研究班は2012年時点で、認知症462万人、うち介護サービスを利用する認知症高齢者は305万人、MCIは400万人いると推計した。2025年には介護サービを利用する認知症高齢者が470万人に膨れ上がるなんて予測も出て社会に大きな衝撃を与えたが、今年頭に厚労省が改めて出した推計に、多くの国民は耳を疑った。

2025年に認知症高齢者は700万人――。振り返れば、1993年当時の試算からなんと2倍以上に膨れ上がっている。もちろん、これも通過点に過ぎない。アルツハイマーの超早期診断を目指す「J-ADNI2」の臨床試験も2018年に始まるので、数年後にはこの推計は「1000万人」に膨らんでいるはずだ。ただ、この数字をとやかく言ってもしょうがない。問題はこの「雪だるま式に増えていく認知症」という現象を受けて我々が何をするかだ。

●認知症社会を解決するカギ

そこで「言葉の言い換え」が重要になる。認知症を「本人にも周囲にも暗く重苦しいもの」ととらえると、徘徊老人がウロウロして、いたるところで認知症ドライバーの追突事故が起きている未来しか見えない。これを解決するには700万人を縛るベルトと、閉じ込める部屋と、アルツハイマー治療薬がどれだけ確保できるかという皮算用になっていくのは当然だ。

しかし、これを「ポップに生きている人々」ととらえるといろんな未来が見えてくる。もちろん、そこには和田さんたちのようなサポートをする専門職が必要不可欠なので、彼らをめぐる労働環境の問題もあるが、少なくとも「認知症予備軍」とされているようなお年寄りの場合、これまで連想されたような「家族の重い負担」とか「背負う」というネガティブワードが出てこない社会との関わり方があるのではないか。

例えば、高齢者福祉施設と保育園などが一体になった「幼老」複合施設などもっと注目を集めてもいい。少しくらい物忘れがあっても、子どもたちと一緒に遊ぶことはできる。子ども側も、遠くで暮らす祖父母以外に高齢者と触れ合うのは決して悪くない。しかも、高齢者の認知症ケアになる。赤ん坊や幼児の世話をしているようで実はその逆、幼児や赤ん坊に「介護」されているのだ。実際に、感情を失った認知症のお年寄りが赤ちゃんと触れ合うことで笑顔を取り戻したなんてケースも報告されている。

世界初の超高齢化社会になるのは間違いないわけだから、従来のような考え方をガラリと変えないことには、「暗く重苦しい未来」しかないのではないだろうか。そんなことを考えながら、厚労省の「幼老複合施設」の資料をながめていたら、富山県にある「デイケアハウスにぎやか」という施設の活動理念に思わず目がとまった。

死ぬまで面倒みます
ありのままを受け入れます
いいかげんですみません

なんとも「ポップな生き方」ではないか。来たるべき認知症社会を解決するカギは実はこのあたりの「開き直り」にあるような気がする。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150303-00000025-zdn_mkt-soci

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