目が不自由な人のために音の出る信号機を贈ろうと、ラジオを通して呼び掛ける九州朝日放送(KBC)=福岡市=の企画「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」がスタートから40年になった。「通りゃんせ基金」として寄せられた募金は前回までに計約3億3483万円。言葉を通して広がった善意は、福岡県内の音の出る信号機(全710基)の27%に当たる193基の設置につながった。
KBC本社を訪ね、スタジオから募金を呼び掛ける山口百恵さんの写真
「ミュージックソン」は1975年、ニッポン放送(東京)が全国のラジオ局に呼び掛け、同局とSTVラジオ(札幌市)、KBCの3局が同時に始めた。視覚障害者が情報を得る手段として、ラジオを最も頼りにしていたことから、音の出る信号機の普及をきっかけに障害者への理解が進むことを目的とした。
原則として、12月24日の正午から翌25日正午まで各局が特別プログラムを放送、音楽をかけながら24時間募金を呼び掛ける。タイトルのミュージックソンは「ミュージック」と「マラソン」を合わせた。
KBCでは「メーンランナー」と呼ばれる総合司会者役のアナウンサーが募金情報をスタジオから電波に乗せ、ラジオカーが県内各地を回って中継放送しながらリスナーから受け付けた。募金受付期間を3カ月間に延ばした76年には山口百恵さんも本社を訪れ協力した。集まった募金は、県警を通じて毎年3~13基の音の出る信号機設置につながったほか、点字サークルの運営にも役立っている。
県盲人協会の小西恭博会長によると、鳥のさえずり音やメロディーが鳴る信号機は、都市部よりも郡部の方が要望が強いという。人や車の通行量が多い場所だと周囲の気配で信号の変化が分かるが、周囲に誰もいないと手掛かりがないからで「音に向かって歩ける信号機は助かる」と語る。
ミュージックソンに賛同し、実施しているラジオ放送局は現在、全国で11局に拡大した。一方で、パソコンやスマートフォンの普及に押され、ラジオはリスナー減少という厳しい時代が続く。KBCに寄せられる募金も78~88年にはほぼ毎年1千万円を超えたが、90年代以降は減少、昨年は約435万円だった。
それでも13年間企画に携わる酒井明宏さん(38)は「きっと役に立っている」と確信している。毎年、名前を告げずに小銭が入った袋を本社に置いていくタクシー運転手や、「恩返しに」と白杖を手に毎年募金に訪れる男性もいる。顔を出さずに、誰かを支えたいという人たちだろうか。酒井さんは「ラジオの企画だからできる言葉のぬくもりを発信し続けたい」と話している。
■呼び掛けに名誉と責任 1基でも多く KBC・沢田幸二さん
ラジオ・チャリティ・ミュージックソンのメーンランナーを過去12回務めたKBC編成制作局担当局長の沢田幸二さん(57)に思い出や今後の抱負を聞いた。
-沢田さんにとってミュージックソンとは。
入社以来、2年間を除き33年携わってきた。自分の声で募金を呼び掛けることの名誉と責任を感じる。
-印象に残る企画は。
1986年に九州産業大(福岡市)のグラウンドで「24時間草野球」をやり、中継した。雨から雪になった寒い中、募金を持ってきてくれたリスナーがいた。うれしかった。
-メーンランナーの苦労といえば。
やはり24時間しゃべり続けること。朝方は睡魔との闘いになる。無事終わると何とも言えない達成感がある。
-今、思っていることは。
視覚障害者の方から「うちの近所には音の出る信号機がない」という話も聞く。まだ足りないと実感する。一基でも多く設置できるように続けていきたい。それから、今はスマートフォンでもラジオが聴ける。ラジオになじみがない若い世代にも興味を持ってもらうように努力したい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150209-00010007-nishinp-l40