「保活」という言葉が浸透してきた。就活、婚活などの「活」が保育所にくっついたもので、子どもを入れる保育所探しの活動を意味する。『「子育て」という政治 少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』(猪熊弘子/KADOKAWA 角川マガジンズ)によると、この言葉が初めて使われたのは、2012年の週刊誌『AERA』(朝日新聞出版)誌上。保育実情を取材してきた著者は、この出来事を「ある意味感慨深かった」と振り返っている。
さて、保育所問題は誰もが知るところとなっている。単純に考えると、子どもが減り続けているなら、保育所には入りやすくなっているはずだ。「子どもを預けれられず、働きに出られない」という母親の声を聞くこともないだろう。だが、現実はご存知のとおり。保活は熾烈を極め、ついには2013年3月、保育所に子どもを入れられない首都圏の保護者たちが結束し、自治体に異議申し立てをするに至った。
なぜ、少子化なのに待機児童が生まれるのか。本書によると、国が初めて待機児童数を発表したのは1995年。日本で初となる子育て施策「エンゼルプラン」が策定されたのが、前年の1994年12月。このあたりから、待機児童減少を狙った保育拡充が進められていった。しかし、著者は「時すでに遅しだった」と見ている。80年代の景気上昇期から保育所の入所数は減少しており、あわせて保育所も減らされていった。また、「男性稼ぎ手モデル」が主流になったことで、保育所に子どもを預けるという考え方が薄れ、保育所数の減少に拍車がかかった。このときの停滞が、現在の保育所不足につながるとしている。
そんな現状にも関わらず、「待機児童ゼロ」を鮮やかに達成した自治体が出現し、話題を呼んだのも事実である。保育所が不足しているといわれる中で、待機児童ゼロというウルトラCは可能なのか。日本中が期待に湧いた。しかし、著者は、ここに数字のマジックと、政治的な要因が隠されていると読む。
本書で示されているのは、横浜市の例。待機児童数全国ワースト1位の常連だったが、新市長就任からわずか3年間で待機児童ゼロを達成し、安倍晋三首相の成長戦略スピーチでもその成功が触れられた。著者は、数字のマジックとして「インターネットを使うなどして、家庭で求職活動をしている人」(の子ども)を待機児童にカウントしないなど、市独自の「待機児童」の定義を用いたことを、そして、政治的な要因としては、中田宏前市長の辞任にともなって民主党推薦で当選した林文子新市長がいちばんの選挙公約として「待機児童解消」を掲げていたことを挙げる。林市長と自治体の執念にも似た熱意は認めつつも、「結局トップに誰が来るかで、子育て環境は大きく変わる」と冷静に分析している。
とはいえ、働きに出たい親にとっては、見方によっては多少強引なやり方であったとしても、子どもを預けられる場が増えるのはありがたいのではないだろうか。保育所問題は、死活問題なのだ。しかし、本書では、保育の質の低下にも目を向けなければならないとしている。保育所の設置基準、面積基準、そして保育士の質。やはりここでも、自治体ごとに独自の基準や思惑があり、政治的な側面が影響するといわざるを得ないようだ。保育の質が低下した先の悲しい事故にも、紙幅が割かれている。
成長戦略としての子育て支援がよくいわれるが、ただ子どもを長時間預かる場所をやみくもに設置すればいいというものではない。本当の待機児童ゼロを実現するためには、大人たちがよりよい政治を選ばなくてはならないとまとめている。
文=ルートつつみ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150121-00005908-davinci-life