今日から9月。2014年も3分の2が終わってしまいました。スポーツにたとえると、中盤戦から終盤戦にさしかかるあたり、といったところでしょうか。
長かった夏休みも終わって、子どもたちはまた、学校という日常に戻っていきます。勉強モードに切り替わるのは、まだ早いかな。
今時の子どもたちは、どんな授業を受けているのでしょう。パソコンの授業が小学校でも導入されたり、英語の時間数が大幅に増やされたりと、カリキュ ラムは大きく様変わりしているようです。一部の学校では、株式取引のシミュレーションを授業に取り入れているとのこと。株で損をしない方法について、クラ ス全員で話し合うのでしょうか。僕には想像もできません。
平成に入ってから教育現場で起こった大きな変化といえば、障害者と触れ合う授業が増えた、ということです。触れ合う、という言い方は語弊があるかも しれませんが、大多数の健常児のなかに何人かの障害者がゲストに招かれて何かをやる、という意味では触れ合いという表現がしっくりあてはまると思います。
皆さんも学生の頃、一度は学校で(福祉の授業)を受けたことがあるのではないでしょうか。あるいは障害をお持ちの方なら、講師の立場としてどこかの学校に招かれたことがあるかもしれません。
今も昔も、いわゆる(福祉の授業)といえば、障害を持つ当事者を講師にむかえての講演会、というかたちが定番のようです。前半は車椅子体験で体を動かして、後半はじっくり講師の話を聞く。僕が学生時代に受けてきた(福祉の授業)も、だいたいこんな形式でした。
今週のテーマは福祉教育ですが、現在行われている決まりきった(福祉の授業)というものに、僕は物足りなさを感じています。物足りなさという言葉で はまだ不充分で、今のようなある種パターン化された福祉教育によって子どもたちに本当に大切なことが伝えられるのだろうかと、疑問と不安をおさえることが できないのです。
決して、体験型授業の意義を否定するわけではありません。年に1度でも、外部から当事者を招いて講演会を開く。世の中には多様な人がいるのだと知る意味で、そうした授業には一定の効果があるでしょう。
けれど、講師の体験談を聞くだけでは、自分にとって遠い世界の(ありがたい)話で終わってしまう。車椅子体験も同じで、福祉に興味のないほとんどの子どもにとっては、ちょっと面白いゲーム、という感覚でとまってしまい、あとには何も残らないのです。
中学生の頃、学校の授業として、地域で自立生活を営んでいる身体障害の女性を招いた講演会が開かれました。参加したのは僕と同じ学年だけだったのですが、まじめに話を聞いているのは半分だけで、あとの半分は友達同士ガヤガヤと喋り合っていました。
(そりゃそうだよな)と、その光景を見た僕は思ったものです。自分が直接体験したわけでもない話に興味が持てないのは、当たり前のことですから。ある意味、素直な反応です。
理想の福祉教育とは、あえて言えば(教えようとしないこと)ではないでしょうか。先生たちがいくら「福祉とはこういうものだ」と子どもたちに教え込んだところで、下手をすれば価値観の押しつけになりかねない。
そうではなくて、常日頃からクラスの中に障害者が(いる)状況をつくる。そして、先生を含めて誰ひとりとしてその状況を特別視しない。そんな環境をつくることが教師の役割であり福祉教育の第一歩であると、僕は考えます。
それから、これは障害児を受け入れているクラスでよく使われる言葉ですが、(この子がいるからうちのクラスはまとまった)という言い方も、僕は好きではありません。
これって裏を返せば、障害を持ったその子ども自身を特別視している、ということですよね。その子はべつに、クラスをまとめるために普通学級に在籍し ているわけではありません。結果としてその子のおかげでクラスの結束が強まるという側面があったとしても、少なくとも教師の立場から言うべきセリフではな い。
この言い方が許されるのなら、(この子のせいでうちのクラスは迷惑をこうむった)という表現も認めなければなりません。言葉のベクトルは違えど、障害そのものを特別なものだととらえている点で、発想の根っこは共通しているのです。
話が少し堅苦しくなってしまいました。実は僕も、講師の立場として学校に招かれたことがあります。20歳を過ぎたばかりの頃でしょうか。
母校である大師高校には福祉系の科目が用意されていて、その授業の1日講師として呼ばれたわけですが、さすがにあの時は緊張しましたね。慣れ親しん だ母校とはいえ、授業の講師を引き受けるという経験はまるきりの初めてなわけですから、何をどうすればいいのか、右も左もわからない。
その授業の担当の先生がうまくフォローしてくださったおかげで、何とか授業らしい形式にはなったのですが、伝えたいことがあとになってたくさん出てきて、消化不良という感触は否めませんでした。
もしも今、どこかの学校から1日講師の依頼がきて、黒板の前に立つことになったら、生徒(あるいは児童)たちに何を伝えるでしょう。
福祉の専門知識などありませんから、自分の見てきたことや感じたことを正直に、包み隠さずに話すしかないでしょうね。障害の大変さとしては(日常動作のほとんどを片手でこなすこと)を伝えたいと思います。これはたぶん、一般的な車椅子体験では見落とされていると思うので。
戸棚からものを取りだす場面を思い浮かべてください。まず利き手で戸棚を開け、取り出したいものを手に取り、もう片方の手で戸棚を閉める。これが普 通のやり方です。ところが、左手がほとんど動かない僕は、最後の(戸棚をしめる)動きがいっぺんにはできません。戸棚からものを取ったら、そのものをまず いったんどこかに置かなければ右手が自由にならないので、戸棚を閉めることができないのです。
逆にものをしまう場合は、また少し複雑です。ものを持った状態では戸棚を開けられませんから、ものをまずどこかに置いてから右手で戸棚をオープン。 そのうえであらためてしまいたいものを右手に持ち、戸棚に入れる。両手が使えればもっとスムーズに済むのにと、時々もどかしくなることがあります。
最近では少しずつ左手を使う機会も増やしてはいるのですが、ついつい右手に頼ってしまいます。何をやるにも、右手は僕の生命線です。
障害を抱えて生きる楽しさといえば、やはり(いろいろな人たちに出会える)ということになるでしょうか。たくさんの学生さんと交流が続けられるのも ある意味で僕が障害者だからですし、それは僕の人生の財産だと思っています。障害を持って生まれなければヘルパーさんと関わりを持つこともなかったわけ で、つくづく人にかこまれて生きる運命なんだなと、前向きに考えるようにしています。
僕自身、福祉教育を担う立場になろうとは、これっぽっちも思っていません。その才能も資格もないでしょう。けれど、かぎりなくゼロに近い確率で、僕 と関わった学生さんが(僕に出会ったから)という理由で福祉の道を志してくれたなら、それはやっぱりうれしいことなのかな、とは思います。
最後までまわりくどい言い方ですみません。あまりにも現実感の薄い話なので、こういう表現しかできないのです……。
1988年、神奈川県生まれ。生まれてすぐに脳性マヒ(CP)と診断される。中学校の頃から本格的に創作活動を始める。専門はショートショート。趣味は読書と将棋。ツイッター(@dupan216)も始めました。座右の銘は「一日一笑」。
http://apital.asahi.com/article/sunny/2014081700005.html