▼見るのがつらいという人もいるだろう。29年前のきのう墜落した日航ジャンボ機の残骸なのだから。機体のほか、止まった腕時計なども展示してある。日航が 事故の21年後に設けた「安全啓発センター」だ。
▼遺族でつくる「8・12連絡会」の有志が6月、ここを訪れた。修理ミスの跡が残り、事故原因となった圧力 隔壁を見て、ある女性は、こんなものに命を預けていたなんてと怒りを感じた。安全への願いをつづった文章を連絡会の会報に寄せた。
▼事故の翌年に創刊された 会報「おすたか」が、7月で100号となった。会員の手記や会からの報告を載せ、遺族の心の支えとなってきた。会の事務局長、美谷島(みやじま)邦子さん (67)が編集する。節目の号には「100回分の涙があります、100回分の慰めがあります」との感謝も届いた。
▼他の大きな事故についての情報も豊富に掲 載してきたことが特徴だ。名古屋の中華航空機事故やJR宝塚線(福知山線)事故の遺族の動向を報じる新聞記事が引用される。兵庫県明石市の歩道橋事故の裁 判記事もある。
▼悲しみを共有し、安全な社会づくりをともに目指す。そんな「緩やかな連帯」のための活動を、連絡会は重ねてきた。御巣鷹(おすたか)の尾根 には、これらの事故の遺族も登る。ここは遺族がつながる「聖地」になったと、美谷島さんは著書に記している。
▼下を向いて生きることはやめる。だからあえて 会の名から「遺族」の文字を削った。発足当時の思いだ。なればこその粘りと継続に違いない。
2014年8月13日(水)付
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