集中豪雨で県央を中心に死傷者97人、住宅約1万4千棟に被害をもたらした「7・13水害」からあすで10年となる。当時被害にあった三条市南四日町1、2丁目の自治会長、上石貞夫さん(81)は「大変な水害だったが、町中が支え合う気持ちを持つという“福”を与えてくれた」と振り返った。
あの日、上石さんはスイミングスクールに行った後、妻、芳野さん(79)と自宅にいた。ラジオで「未曽有の災害がくる」と放送していたが、心配していなかったという。
やがて、下水の色が変わり、波打っているのが見えた。母親から昔、洪水の前にこうした兆候があったと聞いたことを思い出し、1階の畳を上げ、仏壇などを2階に移動した。だが、あっという間に床から水が噴き出し、テーブルやテレビを押し上げた。
濁流が家の中を襲い、「冷蔵庫がひっくり返ってびっくりした」と芳野さん。その日は2階で食事も取れず一晩を過ごすことになった。
2、3日後に水は引いたが、すべてが泥だらけ。呆然としたが、「ボランティアが大勢来てくれてありがたかった」(芳野さん)。室内や床下の泥をかき出し、使えなくなった家財を運び出すなどしてくれた。
当時、自治会の副会長だった貞夫さんは、町内の全世帯を回って状況を調べ、食べ物がなければ避難所から受け取り届け、不足する薬品があれば役所に伝え、ボランティアの要請があれば、センターから必要な人員を連れてきた。
回っているうちに、予想以上に高齢者、それも要支援者が多いことに気づいた。そこで、貞夫さんは一軒一軒回り顔の見える関係を作っていった。
その年の10月、中越地震が発生、水害で助けられたお返しに、「お米一握り運動」として、コメや義援金を集め被災地へ送った。
そのうち、「老人クラブをつくろう」という声があがり、翌年4月、「熟年いこいの会」を結成した。
会の基本は「元気な高齢者が支援の必要な高齢者を支える」。現在、要支援者は34人、いざというときは、15人の高齢者で作る「支援隊」と町内の若い男性ら「協力隊」約10人が支える。
普段は、月例会や茶話会、コーラスなどで顔の見える関係を作っている。「自主防災組織でなく、必要な組織をクラブの中に作ったのが変わっている点です」
夏祭りなど機会を通じて仲間を作り、安全・安心な町づくりの意識は、自治会全体にも広がった。今年の避難訓練には町内約1100人のうち200人近くが参加、協力してくれた。
とはいえ、町内の高齢化率は33%を超え、さらに増加する。「この意識を若い人たちに伝えていくのが課題」と、貞夫さんは表情を引き締めた。
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