まだ食べられるのに大量に捨てられるパン。見た目は美しいが味は劣る交配種のナス。加工ラインでさばかれる無数の若鶏・・・。私たちの食の成り立ちを観察することを通じて、現在の世界の成り立ちにまで迫ろうとする映画「ありあまるごちそう」(2005年オーストリア、配給・アンプラグド、96分)が2月19日(土)から全国で公開されます。
「世界は120億人を養える食料を生産しているのに、毎日10万人が飢えで命を落とす。これは殺人だ」。映画に登場する食糧問題の専門家は観客に問いかけます。より安く、よりたくさん、いつでも食べたいものを食べたい。そうした欲求を満たすため、徹底して合理化した、世界中を網羅する食料生産システムが出来上がりました。
映像は、現代の食料生産の現場を淡々と追いかけることで、企業の利益だけを追い求め、「食べるということ」の意味さえ忘れてしまったかのような今日の食の現実を映し出します。
折しも私たちの住む日本では、菅内閣が「平成の開国」として、TPP(環太平洋経済協力パートナーシップ協定)への参加を検討すると表明。TPPへの参加で農作物の輸入が自由化すれば、私たちの食生活も「より安く、いつでも食べたいものを提供する」という、グローバルな食のシステムの激しい洗礼を浴びるでしょう。
豊かさを追い求めたはずが、飢えや貧富の格差に加えて、食への不安やココロの貧しささえも生み出すという深い矛盾。私たちはどんな未来を選べばよいのか、この映画を観ながら考えてみては。
(niftyココログの記事をご紹介させていただきました。)
【参考サイト】
映画「ありあまるごちそう」公式サイト
食料を生産する過程で、基準に満たないものがしょうずるのは当り前です。
基準に満たないものを、コストをかけて援助物資にする事は、自慰行為だと思います。
経済的に成り立っシステムではありません。
現在の世界各地の発展途上国にみられる貧困の遠因は、16世紀のヨーロッパの国々の海外進出に端を発していると思います。
それからどれだけの時間が経過したのでしょうか?
発展途上国の貧困は常態化して、援助はビジネスになってしまいました。
自分で向上しょうという意志の無い国々に援助をするのは無駄ではないでしょうか?
私は内容の無い環境問題映画の制作こそ、環境に優しくないと思います。
ムササビ
2011年1月26日 10:06 AM