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NIIGATAまち・話題:戦国武将・本庄繁長没後400年 居城があった村上市、市民らで観光振興 /新潟

◇生涯で85回戦い、一度も敗れず

今年は、戦国時代の村上城主で、上杉謙信・景勝に仕えた武将、本庄繁長(1540~1614)の没後400年にあたる。生涯で85回の戦に臨み、一度も敗れなかったという武略家だ。村上市では、繁長が戦を終えて凱旋した時の様子が、村上大祭で山車「おしゃぎり」を先導する「荒馬」として伝わるが、繁長が戦国時代をどのように生きたかを知る市民は少ない。そんな繁長の偉業をたたえようと、今年2月、地元の有志らが「本庄繁長公没400年祭実行委員会」(飯沼与三太委員長)を結成した。ゆくゆくは繁長による町おこしにつなげたい考えだ。【真野敏幸】
繁長は城主の息子として生まれる直前、父親が叔父の裏切りにより憤死。母親は瀕死(ひんし)の刀傷を負いながら繁長を出産した。生まれた時から波乱の人生だった。
13歳になると叔父に反乱を起こして父の仇討ちを果たし、本庄家の当主に。その後、越後を治める上杉謙信の家臣となり、武田信玄との戦で知られる川中島の戦いなど各地を転戦し、武功を挙げた。
1568年、武田信玄の求めに応じ、上杉家からの独立を狙い挙兵。謙信から猛攻を受けるが、落城せず和睦した。その後も上杉家に仕え、新発田重家討伐、庄内出兵などで活躍した。
1600年の関ケ原の戦いでは、上杉家は徳川家康に反旗を翻し、石田三成側の西軍に付く。主君に従って西軍に付いた繁長の軍は、兵力に勝る東軍の伊達政宗を相手に、福島城に籠城(ろうじょう)し、撤退させた。東軍が勝利を収めると、今度は上杉家存続のため終戦工作に奔走。上杉家をお家お取り潰しの危機から救ったのは、繁長の活躍があったためとされている。
1614年、福島城で没。75歳だった。生涯で85回の戦に臨み、一度も敗れなかったことから、上杉景勝は武勇をたたえ、戦の神様を意味する「武人八幡」の称号を与えた。
◇不屈の精神をPR
「何度も苦境に立たされながら、不屈の精神ではねのけ、75年の生涯を全うしたところが繁長の魅力。多くの人に繁長を知ってもらい語り継いでほしい」。繁長公没400年実行委は、こう話す、村上市出身の会社員、堀田亨さん(55)らが発起人となり、発足した。堀田さんは実行委の事務局長を務める。

実行委はイベントの開催を通して繁長のPRを開始。4月には、記念行事第1弾として、繁長が父の13回忌に叔父を追い詰め切腹させた耕雲寺(村上市門前)で、小学生ふんする少年繁長が登場するなどの「出陣式」式典や講演会を行い、約150人の歴史ファンらが詰めかけたという。
出陣式を皮切りに、講演会や繁長の墓所での400回忌法要参列ツアー、繁長の生涯をわかりやすくまとめた冊子の作製などを予定している。また、繁長が晩年を過ごし、墓所がある福島市と交流を図る計画もある。
現在、村上市に繁長に関する銅像や博物館などはない。堀田さんは「繁長は戦国時代を代表する武将。いずれ大河ドラマや、観光施設が誕生すれば」と期待を込めた。繁長による観光振興に夢は膨らむ。
実行委の活動は今年度限りだが、同時期に設立した歴史愛好団体「本庄繁長公の会」は存続させる。会員数は現在約60人。年会費2000円。会員には、繁長についてまとめた冊子を配布するなど特典がある。問い合わせ・入会は同会ホームページ(http://shigenaga.jimdo.com/)か、同事務局(080・5432・6540)へ。

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130611-00000128-mailo-l15

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