◇漁師の冬の内職が発展
出雲崎町で伝統的な紙風船づくりを続ける磯野紙風船製造所の4代目、磯野成(なり)子さん(61)から名刺をいただくと、何やら感触に違和感があった。
よく見ると、名刺が封筒状になり分厚くなっている。裏側の金色のシールをはがして開けてみると、中に折りたたまれた可愛いフグの紙風船が入っていた。成子さんは「すてきでしょ? それが私たちが作っている紙風船です」とほほ笑んだ。
出雲崎町は古くから漁業の町として栄え、江戸時代には北前船も寄港した。町内の男性の多くが漁師として海に出て生計を立てていたという。ところが冬場になると、海が荒れて漁には出られない。「冬は仕事もないから、飲んだくれてしまっていたらしいんです」
そんな中、大正時代に「何とか仕事を探そう」と立ち上がったのが初代社長の磯野一郎氏だった。一郎氏が目をつけたのは当時東京で流行していた紙風船だった。1919年から生産を始めたところ、冬場の内職として次々と町民が紙風船づくりに参加し、同業他社が町内に乱立する。こうして一郎氏の狙い通り、出雲崎は紙風船の一大産地となった。需要減少や後継者不足などを背景に、現在残るのは磯野紙風船製造所1社だけになったが、それでも全国シェア8割以上を誇るという。
同社の製造方法は、大正時代とほとんど変わらない。まずは、和紙を舟形に切り抜く。切り抜いた色とりどりの和紙8枚を並べて貼り付けていくと、紙風船の原型ができる。さらに底紙、口紙と呼ばれる紙を貼り付けて球状にし、飾り付けなど仕上げを施した後、包装して完成だ。
生産当初から続く分業体制も独特だ。それぞれ各工程を「貼り子さん」と呼ばれる職人が担当する。一つの工程を完成させると、次の家の貼り子さんに運ぶ。こうして7工程を経て完成する。
大正、昭和の時代には子どもの玩具として人気だった紙風船。「テレビゲームなどに子どものおもちゃは変化しました。でも今も紙風船を懐かしんで買っていく方は多いんですよ」と語る。
紙風船は今では玩具としてだけでなく、レターセットや土産品、しおりなど製品も多様化した。熊本県の土産品店から特別注文を受けてつくったご当地キャラクター「くまモン」の紙風船は、ブームも相まって人気を呼んだ。くちばしと羽をつけてトキをかたどった紙風船付きレターセットも同社の人気商品の一つだ。昨年12月は衆院選のため、全国の選管から投票啓発グッズ用に紙風船の注文が相次ぎ、目の回るような忙しさだった。
課題は後継者の育成だ。「実は、紙風船を作りたいという若い人は結構います。でも、技術を教えようとしても途中で諦めてしまう人も多い」と言う。和紙を正確に貼り付け球状に仕上げていくのは難しい作業で、覚えるには根気が必要だ。磯野紙風船製造所では、子どもたちに紙風船づくりに慣れ親しんでもらおうと、近隣の小中学生を職場見学に招いている。
「やっぱり良いものは残していきたいですからね」。新しいスタイルを取り入れつつ、変わらぬ伝統文化を守ろうとする試みは続く。
1月6日朝刊
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