◇氷点下60度の南極で活躍
真っ白に雪の降り積もった工場敷地内に、でんと座る真っ赤な車体。重さ約11トン、長さ6メートルの大きな車体は、南極の調査で活躍する雪上車「SM100S」だ。気温が氷点下60度まで下がる南極でも金属部品が壊れないよう耐寒性の高い特殊素材を利用しており、280馬力の特殊ディーゼルエンジンで、そりに乗せた約21トンの荷物をけん引することができる。製造するのは、長岡市城岡の大原鉄工所。現在、国内で雪上車を製造するメーカーは同社しかない。
大原鉄工所が雪上車を開発したのは1951年。戦前に石油掘削機器を製造していた大原鉄工所だが、戦後になると国内の石油産出量が減少した影響から、新たな事業展開の模索を余儀なくされていた。そんな中、県から「豪雪地帯の民生安定が急務になっている。雪上車を開発してほしい」という依頼が舞い込んだのが、雪上車開発のきっかけだった。
「実は当時、県は数社に同様の依頼をしたらしいんです。だけど、引き受けたのは大原鉄工所だけでした」。同社総務課長、竹津正秀さんは当時の資料を示しながら語った。
「成功するか分からない事業は引き受けられない」と断る社が大半の中、当時の上村清五郎専務は「会社の全力を挙げて、日本初の雪上車開発に挑もう」と承諾したという。
だが大原鉄工所は石油掘削機器のメーカー。乗用車でさえ製造したことがなかった。開発担当を任された社員は悲鳴を上げたという。それでも、めげずに、都内に保管されていた戦車の残骸を頼りに設計を開始。妙高市のスキー場に進駐軍の水陸両用雪上車があると聞けば、現地に飛んでこっそり観察し参考にした。そして開発から4カ月後、日本初の雪上車「吹雪号」が完成した。
開発に成功した同社は雪上車の生産を始め、県内の豪雪地帯の自治体などに次々と納品した。しかし、寒さのために部品が凍結、損傷するトラブルが多発。開発部門では、耐寒性の高い部品の開発や車体の軽量化など改良を重ね、現在の雪上車の元となる形を造り上げていったという。
やがて大手企業などが雪上車製造に参入したが、大原鉄工所はそれまで培った高い技術を生かし、自衛隊や警察、南極観測隊の雪上車をどんどん製造していった。これまで30人以上の社員が車両保全のために南極観測隊へ同行。また、スキー場のゲレンデ整備用雪上車の開発も始め、現在では国内のスキー場でシェア4割を誇る。そんな中、他社は技術開発が追いつかず撤退。こうして「雪上車の大原鉄工所」という評価が確立されていった。
なぜ、長岡市の一鉄工所が国内唯一の雪上車メーカーとなり得たのか。竹津さんは「会社が雪の降る長岡にあっただけに、豪雪被害は人ごとではなかった。それと雪が降る環境だったからこそ、開発もできたのでしょう」と語る。雪国で地道に技術を磨いてきた企業は、全国に誇る雪上車を造り続けている。
1月3日朝刊
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